2021-04-28

FAUST IN MARIENBAD by The quest for Art: /2021/

  

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KAORU ARIMA
FAUST IN MARIENBAD by The quest for Art: 

/2021/ 


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1)FAUST IN MARIENBAD by The quest for Art: 

2)世界はやさしい、だからずっと片思いをしている。

3)ART DRUG CENTER:artrφn(アートロン)プロジェクト:

4)キワマリ荘の作り方: 

5)れんこんのなか: 

6)この言葉たちに支えられ目標にして作品を作っている。:

7)artrφn(アートロン)プロジェクト




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FAUST IN MARIENBAD by The quest for Art: 


思えば、私は作家性重視の生き方(ロードムービー)を選んだ。そして「アートとは何か。人とは何 か。幸せとは何か。」を問い続けてきた。彫刻、ペインティング、ドローイングによって「私(人) の内と外」、「途中と永遠」、「社会との関係」を通して見える「私」。そして(私が死に、人間だ けが残ったときに見える)人の在り方と生き方。 


この作品(や場)は、
ファウスト(小説):生に執着し、努力し続ける行為。

去年マリエンバートで(映画):変化し続け終わらない永遠。

ミイラ肖像画:人の死と藝術による永遠。から影響を受けています。

この場(所)は、あなたにとって、始まったばかりですが、既に終わっていたり、未来で始まったり しています。

形は在り方、生き方で変化し続けます、繋がり広がる線のように。 


在り方:
1)線について ・空集の音の間に線は生まれ約束になる、約束は景に入り太極を持って風を待つ。

・手を重ねると線が生まれる。手を離すと線は消えるのではなく広がり、全てを繋げている。

2)人は「本来無一物」という空集合<空集の芽>を皆が持っている。 

3)1)と2)より、外は外で、内は内で(共有)繋がっている。

・モノは視点や思いによって見え方が変化するが、本質は変わらない。

 <うちはうちそとはそとのんじゃった> 


生き方:
・ずっと途中で先端。 

・生に執着し努力(変化)し続ける行為 。

・寿命(枠)があるから瞬間が美しい。 

・日常(日々)の中の美しさ。 

・何もない」の中にある美(愛)。
・太極思想 ・形にならないモノのを要素(形)として作品にする。 


まとめ:
形は在り方生き方で変化してゆく。

 人(形)とは「何」だ。
人が生きるとは「何」だ。

<うのなとなのまにまにせもしもしらずいのまふるふる>

<FAUST IN MARIENBAD>
<The quest for Art>


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世界はやさしい、だからずっと片思いをしている。

 

まず、時を遡ろう。1997年(28歳)当時の私は、自己治療(昇華)中。理由は、思春期に「何 の取り柄もない、落伍者、バカ」と、言われ続けていたコト、親戚が夜逃げ(父が連帯保証人だっ た)、我が家は借金返済のため全てを失い、その後離婚にいたり、極度の人間(自分も含む)不信に なる。簡単に言えば、自分と社会を恨んでいた。後に「本来無一物という言葉を知ったり、人は一番 大切なモノのために(良くも悪くも)嘘をつく」をポジティブに受け入れるまで。その頃に、とても 隠微残酷な「ART DRACULA」展を開催する。その時の芳名録に岩田さん(犬山のキワマリ荘の大 家、私設美術館の館長)が、こう記入していた。「せんは必要なくなったとき そこにあるのかも ね」。全く理解できなかった。彼は「鑑賞は真剣勝負、殺し合いだ!。変なもの見せると死ぬぞ!」 って人だった。 


<ART DRACULA> 

10年後の2007年(38歳)「マイクロポップの時代」展のために、水戸に引っ越すことにし た。1998年にto the Living Room 展(ワタリウム美術館)で「半年住む」という展示をしてい たコト。や、思いもよらぬ成功によって達成感が生まれ、作品が制作できなくなって(煮詰まって) いた、のもある。引っ越す時、岩田さんに、もらった言葉は「すべては覚悟の問題だ、頑張れ。」だ った。


<岩田さんの餞別書道> 

岩田さんの書は引っ越しても、常に目に入る壁に飾ってある。自分への戒めである。それから時が過 ぎ2019年(50歳)。岩田さんも向こう側に行ってしまった。今、私が彼のような立場になって いる。「せんは必要なくなったとき そこにあるのかもね」言葉の意味は今もわからない。今ここで してることが「そこにある」のかも。
 お前の作品は「アートではない」、「自分のためでしかない」と言われながらも、「それでもいい」 と歩み続けて来た。そう、これは、芸「術」ではなく芸「道」に(目的を)覚悟を決めた人(文化系 極道)の生き方でもある。そもそも「自分のため」以外の選択があると私には思えない。自分のため が「他者のためになる」か、他者のためが「自分のためになる」かの違いでしかない。「どちらが優 れてる」ではない。個の追求の果てに他者性もある。全ては、繋がっている、生も死も夢も現実も。 そしてずっと途中で、ずっと先端。生きる永遠、死ぬ永遠。 <うのなとなのまにまに せもしもしらずいのまふるふる> 

これを岩田さんに見せた時、「お前そのものだな」と言われたことを今でも思い出す。 だから「何」だ、と声がする。


<個の追求の果てにある他者性と、その奥にある風景> 

「ファウストを読め!!」岩田さんに再三言われた。思い出す度に読み返す。自己治療の作品が終わ った後で、もう一度大成する作家は稀らしい。その代表がゲーテの「ファウスト」らしい。 いつか、向こう側に行って、岩田さんに会えたら、「世界はやさしい、だからずっと片思いをしてい た。」って言うだろう。そして、多分「死ね!」って言われる。(終)/20190803 


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ART DRUG CENTER:「アートは人の心を治療する薬である」から名付ける。愛知県犬山市のキワ マリ荘内にあった多目的スペース。1997~2007年の10年間で141回の展覧会を開催。2019年宮 城県石巻市にて再開。 

+ キワマリ荘:愛知県犬山市に多目的スペースとして1996年にオープン。2007年に水戸に引っ越すこ とになり代表を変わる。2007年に水戸のキワマリ荘をオープン。2009年に千葉県柏市に引っ越す。 前回同様に代表を変わる。2017年石巻のキワマリ荘をオープン。2019年に地元の作家に任せ、近所 にART DRUG CENTERをオープン。 


artrφn(アートロン)プロジェクト:TRONプロジェクト(1984年に始まった坂村健によるコンピュー タ・アーキテクチャ構築プロジェクトで、「オープンソース」「オープンデータ」「オープン API」 を標榜。)への共感にARTを加えた造語。アート(美)が簡単に制作や所有ができたらいい。アートの オープンソース制作プロジェクト。artrφnのφは空集合を表す記号とキュービット(量子コンピュタ ー)の0と1の重ね合わせのイメージ。 


+ 近況:「ネオギガ」展(1994):絵画は楽描きを極めればいい、「継続と日常」展(1995):日常 がアートだ、「鑑賞と忍美。」展(2001):鑑賞の仕方で見え方が変わる。耐え忍んだ極みに美が ある。ART DRUG CENTERは「アートは人の心を治療する」など、私は常にアート(美)とは「何 か」を問い続けている「ロードムービー」だ。ここ最近は関係性だ、と思い色々してるわけです。そ もそも新聞紙の作品(1998~)も関係性と当時から言われており、その拡張としての「街(石巻): キワマリ荘:ART DRUG CENTER」がある。そして、全てがフラットに美しく成り「ぬす人に取り 残されし窓の月(良寛)」へ、と。 

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キワマリ荘の作り方: 


・あったらいいのに、無いモノ(場所)を作る。

・そこにいけば、仲間がいる。」という状況を作る。

・カリスマリーダーはいらない。その人が移動するとその場所に人がこなくなる。

・短期展望ではなく長期展望が重要。5年、10年先をみて動く。

・人よりも場を強化すること。

・失敗や成功を考えるより。やりたいことがあったら、やる。

・絶対に無理をしない。

・作家同士の感想(批評)を言い合える場所にする。
・一時的な話題性(を作る)に振り回されない。
・居間を作る。
・ここから、世界に発信しているという覚悟を持つ。 

・良いモノは取り入れる。しかし、表面上のコトだけを真似ない。 

・お互いに手を抜くから、グループ展はNG。ただし企画展はOK。

・一人一人の関係者は50人前後だが、3人個展できる環境があれば150人になる。 

・展示期間は1~二ヶ月。一週間だと、いくら良い展示をしても、人が来れない。 

・都会にあるギャラリーを目標にしてはいけない。関係者の数が圧倒的に違うし、情報の消費速度も違う。

・グループの思考が固まり澱まないように、風通しをよくするシステム(展示、企画)を作る。可能であれば、 メンバーの流動があればなお良い。

 ・とにかく待ち、才能を集める(固める)。そして、目的を持った方向を決める。1年近く営業してると、静観 してる人が動き出すので、その人達を確保。

・地元の未来を語る展示は地元の作家がやるべき。そういう場所を作り、育てようという場所。外部の作家やメジャーな作家に頼ってはいけない。自分たちが、そうなる。そうなるための展示をしていき、企画を立ててい く。

 ・一般の人にあまり期待しない。彼らにとっては、単なる消費情報の一つ。自分たちも同じ事を他のジャンルに対してしている事を自覚する。 

・ギャラリーは普通無料で鑑賞できる。なので、展示する側、ギャラリーはどうせ無料だし、と思ってしまうが実は、その人の時間や交通費を使っている事を自覚すべき。千円使った時にもらえる満足度を用意。

・経済的豊かさよりも、個人の幸福度を上げる。 

・絵画の作り方と似ている。点線面。まず下地(場所)、点(最初は首謀者)、点を集め、線に、そして面に。 まず、首謀者の目立つ点を画面に起く。点を集め画面のバランスをとる。最終的に首謀者の点を消して画面を整 える。さらにその場全体が点に成って新たな始まりの可能性。 


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 れんこんのなか: 


不自由は自由の海に有る浮き輪。キレイとは整理整頓。うつくしさとは調和。机の上を「うつくしくしなさ い!」とは言わない。うつくしいと感じる時は、後になってから、その瞬間は、自分も含まれてるから。左脳 と右脳、連想と例え、アレとソレが同じだと感じる事、感謝と恐怖、表現の始まり。答えは始めから存在す る、問題の方が重要だ。イコールの存在が厄介だ、同じにするために、数にする事。THE SUN COMPLEX & HEALING BY THE MOON。こころ」と言った。観た人の観たいモノへ。自分にとってのモノコトではなく感 じる。指で自分の顔の中の骸骨を触る、外なのに中にある。コマとコマの間、見えていないものを観るために は。見せたいモノは絵じゃなくて、その向こう。モノの形よりも、モノのあり方に美しさがある。物語。誰が 描いても、何枚描いても、美しさは劣化しない。空集の音の間に線は生まれ約束になる、約束は景に入り太極 を持って風を待つ。天才と馬鹿が紙一重なら、馬鹿側からが近いはず。よわくなる。楽描き。五感の0時0分0 秒を目指す。それでも生きてゆかねばならない。ここから、はじめよう。しゃかはきのした、だるまさんはあ なのなか。ふゆのきぎ、えださきにあめのつぼみ、そらがさく。しごとはいきること、しゅみはせいかつ。み らいはえだとねのさきに、いきることはかこもみらいも。ゆるしかんしゃいかりのさきわれ。うちはうちそと はそとのんじゃった。わとわとわ。うのなとなのまにまに、せもしもしらずいのまふるふる。日が暮れ、ご飯 を食べる、食べたいうちは生きたいんだ!と、感じる?でも、そういう所に、しあわせ」とか「うつくしさ」 とかの、始まりは在る。つづく。みること、きくこと、かんじること、遠近法を使わないで、あること。昔、 人は役割しかなかったのだろう、それに対応できない人が、バカにされ弾かれた、外に出れば、自由と孤独の 狭間に何が生まれる、今や逆転。スイッチではなくボリューム。多神を包む海。バランス。時=流+刻+間。 過去が存在するから、未来が生まれる、過去と未来があるなら「今」は点になる、今」が無くなれば、過去に 縛られ未来が消える。過去は記憶、宇宙は「いま」しかない。aとbの間を移動する、その移動時間を無駄と感 じるなら、一時間が十分になっても無駄。アートは人が自然(風景+時間+空間)を所有するための行為。身 を守り、勝ち所有し、自らが自然(神)に成る、しかし、区切る事によって生まれるモノは本来の姿ではない から、永遠に自然に到達する事はできない、それが、狙いか。名を付けて所有する、要らないモノは外に出 す、気づけば自分以外はゴミばかり。いのち」は何を所有しているのか、何か所有したいのか、もともと「い のち」は調和だし。いざと言う時、何を守るか、何を選んだにせよ、善悪はない、後で迷いさえしなければ。 覚悟さえ決めていればどんなときでも、幸せだったりするのかな。わたしたちは、いつも永遠のはしにいる。 わからでようとして、わをおおきくしてる、でるためには、わになるしかない、それでも、れんこんのなかだけ ど。ひとはわのなかを、じぶんのものとおもう、まるいたまのまんなかに、せんをひいたら、どちらがじぶん のもの。せんじたいがじぶんだ、ときづいたとき、わからせんになる、それでも、れんこんのなかだけど。き らなきゃいっぽん、はながさく、となりのはなが、ちょっときになる。しあわせ。等間隔に刻むリズム。今思 う、続ける事は難しい、特に現状維持は難しい。ぬくもり、あんしんかん、しんじて、うたがわず、いつか、わ たしも、そとからか、なかからか、そして、ありがとう。と、 


2009/11/06 有馬かおる


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この言葉たちに支えられ目標にして作品を作っている。


<一休宗純>

有漏路より無漏路へ帰る一休み

雨降らば降れ風吹かば吹け


生まれては 死ぬるなるけり おしなべて 

釈迦も達磨も猫も杓子も


白露の おのが姿は 其のままに もみじにおける くれないの露

年毎に 咲くや吉野の 桜花 木を割りて見よ 花のありかを


あるとみて なきは常なり 水の月

ないとみて あるは常なり 水の月


<良寛>

ぬす人に取り残されし窓の月

裏を見せ表を見せて散る紅葉


<小林一茶>

馬の屁に目覚めて見れば飛ぶほたる


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+近況


artrφn(アートロン)プロジェクト :


私たちは、(川のように)あらゆるモノ(コト)に流れがあり物語が生まれる(可能性がある)と思っている。ゆえに並行世界の存在に行き着いてしまった。しかし、そんなモノ(コト)は無いと考える。一神教や一点透視図法によって、脳(人)は生きるために物語(始まりと終わり)を望むように組み替えられた。。そして、私たちは他者を理解し合うことを目標や善としていて、それをより繋げ広げようとしている。しかし、私はこう思う。人は「お互いに理解し合わなくていいように、自分のままでいられるように」繋がり広がっている。そう、モノコトに起承転結は無くただ「今」があることを愛する。結論を求めず、関係性を愛し、広がったり縮んだりする揺らぎのある「朦朧とした輪郭」を意識する。宇宙と空のように、空と海のように。私たちは、ただ「ある」だけで、自分自身で「あり」、他(者)と繋がり広がっている。その中で私たちは「生きる」と言う表現をしている。









artrφn(アートロン):

TRONプロジェクト(1984年に始まった坂村健によるコンピュータ・アーキテクチャ構築プロジェクトで、「オープンソース」「オープンデータ」「オープン API」を標榜。)への共感にARTを加えた造語。アートのオープンソース制作プロジェクト。artrφnのφは空集合を表す記号とキュービット(量子コンピュター)の0と1の重ね合わせのイメージ。