2018-02-22

つつじ野(石巻かほく):750字(全8回)



つつじ野(石巻かほく):750字(全8回)
20171207~20180128(毎週木曜)


(1)来石
(2)なぜダメなのか考えてみる。
(3)タブー
(4)作品の感想を聞かれる時がある。
(5)「作品の行き詰まり」の対処方について
(6)写楽の線
(7)作品性と作家性というのがある。
(8)それを「愛」という。(終)


つつじ野:(1)来石
寒くなって来ましたが、話は夏に遡ります。リボーンアートフェスティバル2017の出品作家として、2年前より石巻に来る機会が増え、気がつけば今年の4月に引越しをしていました。それまでは千葉の柏市に住んでいました。千葉に8年。その前は水戸、その前は犬山(愛知)と、そもそも引越しが多かった。今回は妻がいるし、流石にリスクが高すぎて引越しは考えてなかった。ところが、リサーチのために石巻に何度か来るうちに、これは、引っ越さないと無理かもしれない!と思い始めました。何をしようとしたかといえば、石巻にギャラリー(多目的アートスペース)を作って、石巻の作家が運営していく仕組みを構築する。ちなみに私には実績があります。犬山と水戸に「キワマリ荘(多目的アートスペース)」をすでに立ち上げ、現在も代表が変わりながら運営されています。だからこそ、石巻にも!って話が私に持ち込まれるわけです。引越しを決意し、妻の説得に入ります。妻は元々私の作品のファンでした。今も一番のファンでフォロアーです。そんな妻を説得できない様では、他の鑑賞者を説得できるわけがない!ので作品の説明(なぜ引っ越す必要があるのか)を丁寧に時間をかけて話しました。正直に言えば渋々合意に取り付きました。アーティストは歴史にいかに名を刻むか考えながら行動します。もちろん、すぐに答えの出るモノではありません。とはいえ、何も考えずに作品を作っててもダメなのです。ーーー展示期間が終わりを迎えた頃、これからどうするの?帰るの?と、聞かれる様になりました。いや!?あの!?引っ越して来たんで!!。まだまだ皆んなの信用を得るために頑張らねばと思う日々。石巻の冬が来る。


(2)なぜダメなのか考えてみる。
前回、何も考えずに作品を制作するのはダメと言ったけど、なぜダメなのか考えてみた。全ての縛り(枠)にはルールがある。個、家族、街、学校、国、スポーツ、アート、漫才、マンガ、、、(名が最初の縛り)。自由とはルールの中にある。ルールの無い自由は自然。そうなったらバトルロワイヤル。弱肉強食。もはや集団を維持できないし、点数で競うこともできないからゲームにならない。目的を持って高め合うことができない。みんなで楽しく平和に生きて行くためにはルールはいる。話をアートに戻すと、作品を作るとき、どのジャンル(集団)に入り、どんなルールを守らなくてはいけないのかを知る必要がある。なぜか、そのジャンルの目的(可能性)を高めなくてはならない。そして高めた人の名が残る。歴史に名を残したいならこれしかない。ただ、ルールにとらわれ、こうでなければならない!と思った瞬間。マンネリズム、自己模倣に陥りやすい。こだわりや縛りは、時間が経つと心地よい。心の拠り所となる。鎖の自慢、不幸自慢が個性につながって行く。脅かすものを排除しようとすると、目も当てられない。結果、天然に翻弄されることになる。何しろ発見は枠の外にある場合が多い。やってる方も見てる方も飽きてくるから、少しづつルールも変わってくる。子供の頃に知った知識だが、有名な味噌ラーメンの宣伝文句「変らぬ美味さ」。しかし、何年か毎に味を少し変えているらしい。客が味に慣れ、飽きるから。ホントかウソかは問題ではない。なぜ心に残るのかが重要だ。普通に考えても、現状維持が一番難しい。何もしなければ、緩やかな死が待っている。少しでも上を目指して挑戦することが現状維持。そんなわけで、柔軟にルールを守ろう。


(3)タブー
アートでもタブーは無い様でたまにある。作品批評で「これはダメだよ!」って言われて、ソレが道徳的なコトだと。金脈を発見した気になる。たまに、ソレに気づいてなくて、落ち込んでる作家がいると、パクりたい気持ちを抑えて教えてあげる(めったに、そういう場面に出会わないけど)。今では信じられないかもしれないが、20年前、評論家に「私はマンガやアニメの影響を受けて作品を制作している。」と話したら、それが記事に成った。マンガやアニメがアートにとってタブーだったからだ。今や、そんなコトは、どこ吹く風である。それが普通に成った。私が今取り組んでるタブーは、「作風を変える」である。ドローイング=線画(というジャンル)でそれなりに名声を獲得していて、40歳になった時、ペインティング=絵画を始めた。かなり色々な方に怒られた。「別にいいじゃん!」って思うでしょ。でも、作家や作品の商品価値って、そんなコトでガタ落ちするのです。「この人は、こういう作品!」と成ってたのに!、なんで変えるのか!。今死ねば歴史に残るとか言われたり。しかし、私は、以後の人生のモチベーションをとった。そして、もしこれがタブーなら、やり抜く意味はある。私の後を、道を使う人がいるかもしれない。とにかく進もう!と。私は、こういう考えを持っている。10年あれば何でもできる。努力の仕方や方法を間違えなければ、なんとかなる!。後は覚悟の問題だ。覚悟がなければ、言い訳ばかりして、詰めが甘くなる。覚悟があれば全て楽しい。今は40歳、あと10年は生きてるだろう。で、始めたんだけど、気づけば48歳。後2年じゃないか!!。怖い怖い。


(4)作品の感想を聞かれる時がある。
作品の感想を聞かれる時がある。そんな時、まずこう聞く。「あなたは、作家ですか?、趣味ですか?、作家志望ですか?」と。まず作家志望の場合は、では今現在は趣味ですね。作家になりたいなら、これから「志望」を付けないように言います。そして、作家か趣味かもう一度聞きます。趣味の場合、ただただ褒めます。初対面の時は特にそうします。嫌われたくないのではありません。作家は作品と作者の距離感が十分取れていて、客観視できますが、初心者は作品の批判、批評、感想でネガティヴなコトを伝えると、自分自身がダメ、存在がダメ、となり、最悪の場合、ただの悪口言いやがって!と成ってしまう。いやいや、あなたのコトを言ってるんじゃないんです。作品のコトを話してる。作品とあなたは違うんです!と力説しても声が届きません。ただ嫌われて終わり。この客観性は意外に難しい。若い時は、そういうトラブルを何度も経験しました。ゆえに、「作家です。」と、私の目を見て言える人にのみ、色々言います。例えば、作品の感想を言う時、あえて相手がイラつくコトを言う。すると、言い訳したり、別の話をしたり、時には激怒するときもある。正直、かなりのリスクを伴うので信用できる知人にしか言わないのだけれど、どんなにそこが作品として上手くいってなくても、本当にそれが自分の伝えたいコトだったら、変えないんですよ。で、次も同じコト言われて、凹む。でも変えない。それが個性。そしてこのやり取りで作品強度が上がって行く。鉄を鍛えるのと同じ。これは、まだ自分が分かってない人に使う手なんだけど、喧嘩してそのまんまってコトもある。これはもう、相手を傷つけただけだから、最悪です。だから信頼関係が築けたらって話になります。


(5)「作品の行き詰まり」の対処方について
「作品の行き詰まり」の対処方について聞かれるので、考えて見ました。ほぼ、達成感、マンネリ(自己模倣)による行き詰まり、でしょう。なので、初心に返る(自分は最初、何を表現しようとしていたのか。どんな目標を持っていたのか)。技術(思考)的変化なら、ズレ、抜き、足し、ねじれ。コンセプトを突き詰めて行く段階で、捨てて行ったモノがあるはず。本当は、面白かったり、気になってたアイデアでも、その時の目的に合わないから排除したものを、もう一度洗い直す(宝探し)。限界なら、作風変えるのもありだけど、鑑賞者がそれを望むなら、その人達のために作る。それが、嫌なら、家族のためと、制作することが望ましい。若い時は「自分のため」という自我エネルギーが全てのモチベーションに繋がっていくんだけど、歳を重ねると達成感が出てきて、そのエネルギーでは、モチベーションが維持できない。ってことに気がついてくる。そう成ったら、「誰かのために」っていうモチベーションに切り替えの時期。なので、行き詰まった作家に結婚を進めるコトがある。それを私は、「大人になったから」とは思わない。自分のため、他者のため、どちらも自分自身のためだ。人は自分の幸せ、気持ちいいコトを絶対に優先する。基本、川の流れや、転がる石と同じだ。目標をセットすると若干変えられるくらいだとおもう。日本のアーティストは達成目標がとにかく低い(それさえも達成困難な状況だから)。でもそれは、仕事として考えてないから。自己満足、自己治療の延長(覚悟決めれば、それも悪くない)。私から観ると、いやいや、もっと行けるよ、そのテーマで!と、思うこと多い。


(6)写楽の線
今回は写楽の線について考えてみる。私はドローイング(線画)作家でそれなりに評価を得ている作家であるので、当然いろんな線を研究した。その中で別格に凄いのが写楽の線である。もちろん世界中で、というう意味だ。写楽はどういう線なのか、一本一本で観た時は、何か足りない。短すぎるのか?細すぎるのか?、色のせい?わからない。とにかく、その結果、ゲシュタルトの影響で近くにある線(や色)を引っぱりこむ。すると当然その空間は歪み運動を続ける。その運動の連鎖が画面全体に広がる。その結果として、私には、写楽の首絵(ポートレート)が立体に見える。初めてそう見えた時は、自分の目を疑った。急にそう見えるように成ったからだ。他の浮世絵も見たが浮いて見えるのは写楽の首絵だけだった。顔の輪郭は黒では無く灰色。黒は、目、眉、髪で、上部が重く成るから、服の柄で黒を使い、散らす。顔の部品のバランスも凄い。顔は下から見上げてるのに、鼻は横からなど、部位の視点がバラバラ。とか、その鼻筋のラインはどこを描いたの?(この仕様は、鼻のラインだけではない。)これ、キュビズムじゃん。でもそうじゃない。これは、動いてる役者を1000分の1秒でとらえて描いているからこう成っている気がする。北斎の波の絵と同じ。それぐらいの瞬間を記憶できる(できた)。それがキュビズムっぽく成っている。究極なんだけど、描いてない線が見える。まあ、ゲシュタルトだけど(この技術は作品に生かしている)。まとめ、意図的に一本一本の線を不足にし、周りの線を引き込む。その関係性の力学で、線は空間的に立ち上がり立体に見え、部位のバランスが再構成され、私には振り返る役者が見える。


(7)作品性と作家性というのがある。
作品性と作家性というのがある。日本人は「作家性」の方を重要視する。作家性って何?。簡単に言えば、作者の生い立ちである。日本人はゴッホが好きだが、作品より生き様の方が優先されている。別の言い方をすると、良い作品と作品的に優れてなくても有名人の作品ならば、有名人の作品の方が価値がある、というコト。逆にいうと日本人は作品を作品として見れない、というコトになる。さらに別の切り口で見てみる。グーグル検索でアーティストの名前を検索する。日本語検索では、作者のポートレートが多い。英語検索では作品画像が多い。日本人は好きな作品に出会うと「どんな人が描いてるんだろう!?。」と検索する。英語圏は「他にどんな作品があるんだろう!?。」と検索する。どちらが良いとか悪いとかではない。そういう国民性だというコト。かく言う私も日本人なので「作家性」を重視する傾向にある。実はこっちの方が楽。勉強しなくていいし、自分の好みの話で終わるから。でも、自分の好みに合わなくても、良い作品は評価できる様に成りたい。そのためには、勉強しなくてならない。ルールを知って、皆は何を一生懸命頑張ってるのか知りたい。そうなると、別の切り口で作品を見ることができる。ついでに他の特性をあげる。日本人がアートを本気で突き詰めると日常に成る。日常になれば、なんでもありに成るので解りにくい。デザイン、イラスト、グラフィックを極めて行ってもアートに成るとしたら、こっちの方が向いている。海外の作品は英語でできている。日本の作品は日本語でできている。当たり前だが、この違いを理解してない人が多い。言葉の文法で、モノの自立(自律)のさせ方が違う。結果、作品の成り立ちも違ってくる。


(8)それを「愛」という。(終)
アーティストについて。例えば、10万円と100万円のギャラの仕事が来るとする。デザイナーは予算の中で、自分の取り分をまず取り、残りの予算内で作品を作る。これは(社会人なら)当たり前のコトなんだけど、アーティストは違う。どっちも全力で作る。その結果は聞かなくてもわかる?そう赤字だらけになる。昨年夏のリボーンアートの作家も赤字に成った作家がかなりいたと聞く。特に若い作家はその傾向が強い。その反面、学校の先生やってる人は、研究費を使わないといけないから丁度いいって話もある。とにかく、アーティストはそう言う人種である。さて、今回が最後の寄稿になってしまったから、少し自分のコトを書いてみる。私には、所有欲があまりない。それは、思春期に全て無く成ったコトがあるから。その時から、「モノは人にとられる」と思い込み、それが、所有する恐怖に繋がる。他者からの贈り物も怖い。戻るべき場所、あるべき場所が無い。「人にとられないモノ、絶対に無くならないモノ」の探求をする日々。絵日記の様にドローイング(線画)を描き続ける日々。家が燃えて、全てが墨に成った時、その墨で絵を描く様な生活。それが生きるコトだった。とはいえ、そんな悲壮な時期もあっという間に過ぎ、そんなこともあったなあ、に成って行く年月。最近こう言われた。「人生かけてますね」「そうかな」人生かけてない人生ってある?、ああ「かける人生がもう無いのか」歳をとるわけだ。私の生きた時間が線に成って世界中に散っている。私も49歳に成る。烏の声と風の音。石巻の春を待つ。答え:私が探していたモノのは、繋がり広がり包む「線」と言う空間。別の言葉では、それを「愛」という。(終)





最近のツイッターのまとめ2017


ソードアートオンラインⅡ観る。面白かった。電脳コイル」以来の衝撃。前者や攻殻機動隊は現実の中でのバーチャルだけど、SAOは逆でマトリックス寄り。能動的マトリックス。VRによって、コレに近い現実が始まろうとしている。30年前、マンガやアニメが私にとってのリアルであったと同じ様に、

今はネットゲーム(VR)が、そうなっていく。それが日常の世界に成り、特撮やアニメの世界観の中で活動し、リアルで感動を与えてくれる場所に成る。間違いなく、そこに新しいアートの扉がある。現実とは何か、存在とは、情報とは、命とは。肉体(現実)と記憶(情報)、魂の場所。


VRで世界中の美術館を体験できるなら、たぶん私なら、現地に行く事は無いだろう。どうせ現実でも触れないし、作品が情報化されたら、拡大して、ゆっくり観察できたりするだろうし、購入も格安だろう。まあ、そこまで行くと、VRより、スタートレックのホログラムなのかな。違う技術だろうけど。


夢を観た。団地の中でのマラソン大会。だが、玄関開けて中に入って行く。中の人々は、ゴミの中で暮らす子供、痣だらけの女性、寝たきりのおばあさん、、、、。映画や小説で読んだり観たりした記憶だろう。ランナーは見過ごせなくなって走るのを止めると失格。後半は皆が憔悴しきっていて、

かなり人数も減った。ドアを開ける。薄暗い部屋、テレビの光と音。貧しさが臭って来る。こたつに女が入っている。目の下にクマを作った女の背中で子供がいて泣いている。左手は外に出ようとする子供を捕まえている。右手がこたつ布団の角をめくる、

全てを吸い込む真っ黒な穴。女が言った。中、観てみる?。足が止まる。中、観てみる?。ごめん、無理。」と答えてしまった。出口に私の靴は無かった。目が覚める。

100円で源氏物語あったから買った。いきなり美に関しての記述発見。夏目漱石の吾輩は猫である」にも美術のコトが書かれてるけど、前者は良い絵について、後者はオリジナリティについて言及している。関係ないけど、最近、平面作家が立ち上げる立体」感覚が琴線に触れる。平面作家建立物語。


会話の中に節をつけて歌を入れたがる人たちだ」源氏物語の一節。平安京ラッパー。


夕顔の花の載せられて来た扇を見た。よく使い込んであって、よい薫物の香のする扇に、きれいな字で歌が書かれてある。、、、、散し書きの字が上品に見えた。」ユーガッタメール。「惟光は主人の例の好色癖が出てきたと思った。」視点の変化について行けないが、思った以上に面白い。


草間弥生をアウトサイダーアートにしたい歪んだ愛情と嫉妬。あのコンセプトストーリーと活動をそれで片付ける。最近のキャラモノだって、50年100年経って日本のアートを振り返った時、キャラ作品の代表作家」と検索して一番に出て来るかもしれない。戦略。ずっと現代洋画の国。




基本的に自分のコトしか発言しないので、内向きとか自己中とか言われる。私は世界や社会の一部、端かもしれないし中心かもしれない。個であるなら全でもある。個人の問題が社会や世界の問題に変った(すり替えた)時に爆発が起こるのは鉄板だ。


自己治療完治すると絵が描けなく成る。なので幸せから遠ざかる人がいる。自己治療だから絵を描いていたのではない。絵が好きだったから自己治療で絵を選んだ。コレに気づくの時間かかった。もちろんテーマやコンセプトは変る。でも絵が好きな気持ちは変わらない。だから、、。


個性は誰にでもある。ではなぜ同じ様な作品しか描けないのか。それは勉強をしてないからではなく、共通言語獲得のしすぎ。子供の絵が皆同じなのは、人生経験の差。なので素人でも大人(老人)が本気で描けば個性的な絵はできる。


もう少しで他者の意見何てどうでも良い「無我」に入れそう。久しぶりの感覚。日本人は普段、他者の目を気にしすぎて生きてるから、無我に成る事で本領を発揮できる。アメリカ人は真逆らしい。なんてことが、菊と刀」に書いてあったな。


新聞紙作品は、画像によっては絵の部分だけ拡大される事もあるし、新聞全体の時もある。これは(自宅)展示と同じ理屈、どこまでが作品(絵)か解らない。これはキャンバス作品にも繋がっていて、たまにネットで上(下)がカットされていたりすると、「よし!」と思ったりする。
これは人生自体もそうで、引っ越し」を作品にすると、どこまでが作品かもわからない。中途半端な作品ではなく中途半端(途中)を作品(コンセプト)にして行く成れの果て。新聞作品を展示すると皆、新聞の記事を読む。古新聞はその記事を知らない人にとっては新聞。絵がある事で永遠に新聞。




分けるコトが知るコト。問題と答えの間にあるイコールの意味。1+1=□、2は制作者の望んだ答えを導くだけ。1+1、1x2、8/4、、、、(10進法だけでも)無限。ラベル、縛りの解体と構築。問題と答えは同時に存在する。全ては始めからある。


アートの勉強しなくても、今の自分の気持ちをきちんと表現できればアートと繋がる。だって、今を生きてるんだから、ちゃんとした表現なら、今の社会や時代にリンクするに決まってる。次の段階に行く(言葉にする)時困るとは思うけど。


20年ほど前に、日常生活に展示を持ち込んだのが私(有馬かおる)で、展示に日常生活を持ち込んだのがミスターさん。ざっくり言えば、そんなイメージ。なので私は常時そこ(会場)にいる必要があると考えた。方や新聞紙、方やレシートにドローイング。それから、。


私は線上(アウトライン)の人なので、全てに触れているが、どれにも成れない性質。地図の輪郭。場所は無い。ソレが目標。個展で他者の作品を展示(2010)したり、http://kaoruarima.blog.so-net.ne.jp/archive/c2301262222-1 http://kaoruarima.blog.so-net.ne.jp/(1/2)


だったら、作品出品せずにキュレーションだけすればいい。とも思うが、これが中途半端のなせる技。触れていたい。新聞作品と同じ。このあり方が落ち着く。生きてる間しか出来ない展示と、死んでからもできる展示。誕生から死の途中。始まりも終わりも知るコトができない。(2/2)



2年前、全部ユニクロだよ。」って言われ、「自慢か!」って思った瞬間、格差社会の到来を感じた。


ファンヒーター故障(8年目)。分解清掃。直る(原因:点火プラグの汚れ)。ネジが5つ余った。さすがに5つはヤバいか、、、バラすか、、、。


帰って来たヒトラー観る。ファンタジーとリアル(ドキメンタリー)のミルフィーユ。考えさせられすぎて、はきそう。こうして思考停止に持って行かれたら、打つ手無し。逃げて(離れて)観察。


新しいドラえもんの映画観てて、ノビタのママが可愛く思えてきた」と、つぶやいたら、妻にどん引きされた。


歳を重ねると、自分のため」より、誰かのため」の方がモチベーションが上がる。一般的に「誰かのため」の方が大人と成るが、それは単に、自分では上がらないだけ。他者のための方が上と言うわけではないのかもな。


素足の季節(トルコ):奔放な5人姉妹が家に監禁され一人ずつ結婚。末っ子が脱走計画。とにかく娘達が奇麗。トルコってそうなんだ満載。+好きにならずにはいられない(アイスランド):好きな人(鬱)のために中年童貞が、、、終わり方が深い。DCとマーベルばっかり観てたから新鮮で面白かった。


油断すると、油断した場所に縛られる。+暴力と愛撫」って、撫で方の問題?。+我思う故に我ありと思う我あり(もう一声は無理)。+図書館がダメな場所は、貧困が教育(知識、道徳)にも関係して格差が開く。+自分が楽しむ事が一番重要」ってプロが言ってる文末に「だって、趣味でしょ。」が見える。


絵が下手な時は、気持ちの方が前に出る。丁寧に時間をかければ、良い絵に成りやすく、味のある絵に成る。巧く成ると、鼻につく。技術で気持ちを描けるので、薄っぺらく見える。なのでワザと変な筆の持ち方したり、描き方したりして、気持ちを前に出す、気持ちでねじ伏せる感じにする。


若い作家のツイッターとかインスタとか観てると、スカイリム(PS3)を200時間もやってる場合じゃないな、とは思う。ちなみに、この数年色々やった、ファークライ3、ダークソウル2、ラストオブアスの順で面白かった。ゲームはバランスが大事。自分に合ったバランス。さて次は命がけのゲームだ。


私が言うのもなんだけど、何でもアートにするなら、逆にアートと言わない方が「カッコいい」と思えて来た。「文科系極道」。まあ、日本的な考え方ではある。アートにはルールやコンセプトがあるから。アートに寄せるために、プロジェクト」なぁんて言ってる俺がいる。


素、天然で制作活動してるイメージ否定しない。ただ、当時(90年代)の名古屋アートシーンを批判的にとらえた行動をし、世界に向けて発信している自覚はあった。好きだから絵を描く」だけで生き残れる分けないじゃん。対比は作品の中、作品と作者、作品と社会の間に必要。良い絵と作品は違う。


20代の頃、西洋美術の技術(言語)は無駄、邪魔と考え、捨てて行った。違うな、天才と馬鹿が紙一重なら、バカ側からの方が天才に近づけるはず!とハンドルを切った。楽描きこそアートの根本!的な。馬鹿側からのキワマリ。持たざるモノの思考。だがこれが、素、天然、アートじゃないに繋がってゆく。


クリーピー観る:この映画はヤバすぎる。あの終わり方でなければ、気がふれる。映画館で観てたら、途中退席して、ゲロったかも。黒沢清監督作品の中で一番好き。ハイ・ライズ観る:孤立した高層ビルの中にヒエラルキー(社会)を作ろうとする建築家。





卒展で、これ以上生産しても無意味な成熟市場に生い立ちと生活環境が創造させたコーヒー&ソーサー」って言うのプロダクト作品を作ったけど、絵を描くコトに関しては、そう言う閉塞感を全く感じてない。冒険探求。今頃誤植発見!カップ抜けてる。


ドローイングは作品と作者の距離感が近すぎるから客観的に作品を観れるまで放置。その期間は1年以上。何度も加筆し、5年後には65%は廃棄。良いと思える作品は何年経っても変らず良い。(今の)自分にとって良い(大切)と思える絵が、他者にとっても良いとは限らない(場合の方が多い)。


絵の選別(完成)について聞かれたので、こんな話をした。王国に美術大臣の席が空いた。王様が一人一人作品を観て行く。しかし、席は一つ。落ちた者は死刑宣告。合格するコトが重要ではない。その作品と死ねるか」ってコト。お世話に成った方に、鑑賞は殺し合い(真剣勝負)だ」ってよく言われた。

最近、よく「作品の行き詰まり」の対処方について聞かれるので、考えた。


ドローイングでは小乗と生きるコト、
ペインティングでは大乗と死ぬコトを意識。

ドローイングは作品と作者の距離感が近すぎるから客観的に作品を観れるまで放置。
その期間は1~5年。何度も加筆し、その期間に65%は廃棄。
いいと思える作品は何年経っても変らずに良いので、そう言う作品を展示する。
これは、金にならん完全に趣味の世界。



どっちかじゃないとダメみたいな世の中ホント生きにくい。逃げる、避ける」という選択を卑怯と言う社会も。恐怖をあおり、判断を鈍らせ、究極の二択に誘導する。



タブーは無い様でたまにある。作品批評で「これはダメだよ!」って言われて、ソレが道徳的なコトだと。金脈を発見した気になる。たまに、ソレに気づいてなくて、落ち込んでる作家がいると、パクりたい気持ちを抑えて教えてあげる。私は私で、現在進行中のタブーやぶりで精一杯。


最近、よく「作品の行き詰まり」の対処方について聞かれるので、考えた。

ほぼ、達成感、マンネリ(自己模倣)による行き詰まり。初心に返る、何を表現しようとしていたのか。技術(思考)的変化なら、ズレ、抜き、ねじれ。ここに来るまでに、捨てて来た技術の探り直し。限界なら、作風変えるのもありだけど、鑑賞者がそれを望むなら、その人達のために作る。それが、嫌なら、家族のためと、制作することが望ましい。子供の頃に知った知識だが、有名な味噌ラーメンの宣伝文句「変らぬ美味さ」。しかし、何年か毎に味を少し変えているらしい。客が味に慣れ、飽きるから。ホントかウソかは問題ではない。なぜ心に残るのかが重要。
日本のアーティストは達成目標が低い(それさえも達成困難な状況だからだが)。でもそれは、仕事として考えてないから。自己満足、自己治療の延長(覚悟決めれば、それも悪くない)。私から観ると、いやいや、もっと行けるよ、そのテーマで!と、思うこと多い。


日本人がアートを本気で突き詰めると日常に成る。日常になれば、なんでもありに成るので解りにくい。デザイン、イラスト、グラフィックを極めて行ってもアートに成るとしたら、こっちの方が向いている。


しくじり」ではなく意図的に失速したのだが、改めて始めると、思った以上に前に進まない。同年代有名作家と比較すればいい。何が違うのか一目瞭然だ。素(だけ)とアートを理解して制作するのでは、共感性(これ重要)も持続力も違って来る。間に合わないけど、勉強をするしかないから困る。


英語を英語として理解できて初めてコンテンポラリーアートが理解できる。脳内で日本語に変換しただけで、単語や行間にわびさび、よびつぎ、間、幽玄などの美意識が入り込んでくる。日本国内は、ほぼ翻訳アート(悪いとは思わない)。日本語脳で、英語のできない私はギャラリーに頼る。


美術館を手玉にとった男」観る:
30年間、名前や場所を変え贋作を作り続ける。発見されるが「寄付だから」罪に問われない。話題になり個展開催。有名に成り過ぎ、美術館に「贋作」を持って行けない。皆から「オリジナルを描けと言われる」。その彼が選択した道が凄い。なんかもう童話の世界。


カルテル・ランド」(ドキュメンタリー)観る。:
なんか観た事あるストーリーだと思ったら、デュラララ シーズン1(アニメ)の最後のカラーギャング抗争に似てた。こうやって敵の組織を吸収して行くフォーマットができあがってるんだろう。知ってっても、止められないのかもな。なので、ボーダーライン」(映画)の様な事に成って行く。


Gのレコンギスタ」(2014)観る。:
ガンダム系譜の一番の未来。絶望的に難解。なので、いきなり衝撃のラストシーンに行く。
主人公がいきなり富士山の山頂に向かう(それまではアメリカ、ヨーロッパの様な場所が舞台)。山頂に着く。普通なら、汗拭いて、乱れた髪の毛が風に揺れ、達成感の後のドリンク、、。そんなの無い、なぜならロボットに乗っている。そして、これから世界一周だ!」と、ロボットに乗って降りて行く。ロボットは「富野 由悠季の今までの仕事」ってコトだろう。この状況が良いとか悪いとか言ってない。これが「現状」ってことだろう。

このアニメ、ググると難解、失敗と出て来る。
分かる気がする。ストーリーがまったく理解できない、もしくは、しずらい。
たとえば、全て(人名、グループ、場所、建物、乗り物など)に(よくわからない)名前があり、(何の説明も無く)会話の中に、どんどん出て来る。その名前が、場所、人、乗り物か全然分からない。はっきり言えば、何がどうなってるのか分からない。
さらに、戦闘中に「なぜあの機体がココにある!」の後に「なるほど、、」で別のキャラが「そうだろっ!」っと、戦闘に参加して行く感じの場面(その間5秒ほど)。まったく状況が理解できない。
これ、テレビ放送で観てたら世界観についていけない。
ここで、富野 由悠季が「こどもの為に制作した。」っていうのをポジティブに考える。
すると、上記の様な、考え方をする大人に成るなってコトかもしれない。
すぐに答えを知ろうとするな、自分で考えろ。」と子供達に伝えたかったのかもしれない。


ラジオで、片思いは可愛く、両思いは奇麗に成る。と言ってた。以前、恋愛は才能、結婚は忍耐を鍛える。とも聞いた。


仮面ライダー ドライブ」観る:
最後に、敵と協力して神を倒すんだけど、これ、マトリックスにも、こんな未来もあったってコト。
前半が絶望的につまらないが、それを超えれば最高。
同族殺し、親殺し、自己否定が仮面ライダーの三要素なのだが、このキャラが主人公ではない!
斬新!。
主人公が車に乗ってるから、違和感はあったんだよね。
親殺し、神殺し、ライバル対決がみごとに割り振られてる。
人間vs機械モンスターが、
後半から機械モンスターを作ったモノ(親)vs息子と
機械モンスターを作ったモノ(神)vs機械モンスター。
最終回、親に勝ち、神に勝ち、まっさらな状態で、ライバル対決。
これを見終わった時、マトリックスも、こういう終わり方があったのか。
一神教では無理なのかもな。
だとしたら、このおさめ方は斬新だ。


バットマン対スーパーマン観る:
宇宙人(や神)でさえ、強い男=筋肉ムキムキって設定って、後どれくらい持つのかな。




同級生」というBLのアニメ観た。ライトな感じの。画面が、あだち充っぽいのか、かぐや姫っぽいのか?となりの山田君のほうか?。でもキャラは少女マンガ。あの独特の男の指の描き方。指が触れる場所の意識とか面白い。FREE観た、流石京アニ、水の表現力凄い。ベースにポニョあるのは解る。




数年で物が増えた。絵画関連本。私は、持っているモノが全て燃えてもいい、という感覚。思春期に全部無く成った事があるから。その時から、モノは人にとられる」と思い込み、それが、所有する恐怖に繋がる。他者からの贈り物も怖い。戻るべき場所。あるべき場所が無いからかもしれない。

人にとられないモノ、絶対に無くならないモノ」の探求をする。場所を作り、絵日記の様にドローイングをし、探りを入れる。私の生きた時間が線に成って残っている。家が燃えて、全てが墨に成った時、その墨で絵を描く。そんな状態だった、毎日毎日、わら半紙に鉛筆の線を引っ張った。それが生きるコトだった。

毎日引っ張った線が、世界中に散って行く。過ごした時間、過去の時間。生きた時間が分散してゆく。今日は、雨の音が愛おしい。50円セールで買った小説を何冊か読んだ影響か。



人生かけてますね」「そうかな」人生かけてない人生ってある?、ああ「かける人生がもう無いのか」歳をとるわけだ。


心の闇やトラウマ退治などの解体法を学ぶにあたって、京極夏彦の百鬼夜行シリーズをかなり参考した。曖昧な記憶(映像)を言語化し、別の角度から光を当て、解体する。今だと西尾維新の物語シリーズがそれに当たるんだろうなと、アニメ観ながら思う。


俺はウジ虫だ。だが、絶対に生き抜いて翼を手に入れてやる。と、かなり(20年以上)前の手帳に書いてあって、その生命力にちょっと「いいな」と思ってしまった。


批評が出来ると良いけど、感想しか言えない。そう言う人は、自分にしか描けない絵を追求するしかない。と、いうか、それしかできない。批評が理解できる人は、どんなモノでもアートにできるし、共感性も社会性も高い。解っているから、色々やってみるのだが、


水戸に引っ越した(2007年)直後の文章に、達磨の絵を描いた。
後に、一筆描きに成り、「うちはうち そとはそと のんじゃった」。自分にとって、線とは何かの答え。
達磨を針金で制作し空間的に成る。線の見える部分は氷山の一角で、紙の中や、空間に消えている。個を極めると他者性とか関係性に行き着く。この後、風景に「色」を確認。見えてしまうと、以前どのように風景を観ていたのか思い出せない。



鼠径ヘルニア(脱腸)と診断された件。





鼠径ヘルニア(脱腸)と診断された件。

女医に血を6カプセル採取され、何度も服を脱ぎ「吸って吸って」「頑張って」などと言われ、放射線を浴び続けるプレイをした。7800円だった。

間接照明だけの個室で、女医に上半身にゼリーを塗られ、棒状の器具でグニグニされ「吸って吸って」と言われ、最後におしぼりで上半身を丁寧に拭いてもらい、自分の心音をいろんな角度から聞くプレイをした。2800円だった。

作品のコンセプトとか、思考パターンの重要な要素に猫穴がある。どんなルール(縛り)にも猫が自由に出入りできるような穴を用意しておく。風通しを良くするため。まさか、自分の輪郭までボヤけるとは。猫ならぬネズミ。鼠径ヘルニア(脱腸)になるとは。

鼠径ヘルニア(脱腸)の初期って自覚症状が無くって、痛くも痒くも無い、なんかちょっと、下腹部のふくらみが、若干違うなぁ、気に成るなぁ。くらい。ただし、放置しておくとヤバい。そして直すには外科手術のみ。

腹腔鏡下ヘルニア根治術(4泊五日):
私の場合、左のヘルニアだが、触診で右も気になると言われた(多少自覚症状あり)。右もヘルニアになっていた場合、両方ともできる術式らしい(結局右は無かったが)。

入院前に、ドクターXを全部見た。流石に手術室に歩いて入った時は「お~これが!!」とキョロキョロ。術後すぐに主人公と患者が喋ってる時があるが、全身麻酔の後はそんなもんじゃない!!!。

全身麻酔。はぁい、何々入れます。「ボンヤリしてきました。」はぁい、何々入れます。「点滴の所が冷たい感じです。あ、クラクラします。」の後、気づいたら、よく映画やドラマで見る画面全体に人の顔が沢山出てくる感じで「終わりましたよ~。」だって。ーー本当に「死」が怖く(恐ろしく)なった。

全身麻酔の術後が大変だ。両足に一日中足首をマッサージする器具を付け、交互にプシュープシュー。左手に血圧計で最初は20分ごとにプシュー、終盤は2時間ごと。右手は点滴と指先のヤツ。見えなかったけど、2つくらい器具を上半身に付け。そして、尿道カテーテル(これが慣れない)。

尿道カテーテルを抜く時が、もうヤバい。「ゆっくり吐いてください。」す~、ふ~~~==★?!!!?^!!**^^==~~~~。ナニあの痛み!脳が初めての痛みについて行けない感じ。あまりの瞬間激痛だったので、後から思い出そうとしても思い出せない。癖になる痛みでは無い。

アホなコトに、手術前に風邪気味に成ってしまい。手術台の上で、麻酔師さんに「風邪気味ではないですか~」、と聞かれた時に「そうです。」と言ったので、ザワつき、あ~って言ってください。その時の喉の状況を全員で眺め、「大丈夫!」。あわや延期に成り掛けた。

全身麻酔がまだ効いてる時は、頭も体もスッキリしてたんだけど、麻酔が切れた来たら、風邪がぶり返して来て、発熱と頭痛が始まり、頭痛で寝れなかった。あんまり痛いので、看護師さんにアイス枕と飲み薬をもらう。腹筋が痛くて体を曲げれないので、介護ベットの背もたれを電動で動かし水を飲む。

よく病院で寝てる人って、水を少ししか飲まないんだけど、本当に、少しずつしか飲めない。え、こんだけしか減ってない!って思うくらい飲めてない。しかし、咳風邪じゃなくて良かった。腹部切ってたら、痛くて咳できない。ヤバいな時はフリスクで止めた。くしゃみ一回でテンカウント。

大部屋だったのだが、食事中にもう普通に看護師さんと患者がうんこ、尿、ガスの話をする。多分女性とウンコの話を普通にする機会はこういう場所しかない。長さ、硬さ、回数。なかなのプレイだった。

私の不注意は風邪気味だけではなく、前日に体力を付けないと、と「肉を大量に食った。」普段もそうなのだが、肉食うとほぼ便秘に成る。結果、術後便が出ずに腹にガスがたまり、パンパンに膨れた。普段なら問題ないが、痛くて力めない。これも最悪だった。

病院で、老人は70歳からの認識で、49歳(私)は、まだ若いからと何度も言われる。同室に大腸癌の手術を受けた方がいた。半年入院してる。70超えてからの半年を、ナニもない病院で過ごす。色々考える。

テレビ20時間で1000円は高い。多分、病院とかホテルって一台ずつ受信料を徴収されるから、しょうがないのかもしれないが、長期入院はワンセグ付きのdvd買った方が安い。

早期退院をした。病院のご飯を食べてると、本当に早く退院したいと思う。ネットは繋がってないし、イビキ凄い人いるし。志ん朝の落語大量にipodに入ってたから、本当に助かった。

全身麻酔後に、臍の下の毛は当然剃られてたが、右足の太ももの所に15x20cmの剃り跡がある。何か貼り付けたんだろうけど、イタズラだったら面白い。右手首の表に点滴の針を刺し、強力接着のシールで固定してるのだが、毛深い人は、剥がす時、かなりの罰ゲーム。

高額療養費制度」ってのがあるんだけど、これ「月締め」で、1月間の限度額制度。10月31日から入院したから、その日の発生した8700円は別会計。最初に知っとくべきだった。

後は、傷口が腫れたり化膿することがなければいい。
とりあえず、他は健康。

2016-09-21

去年マリエンバードで」観る、ファウスト」読む、キャラだけがある世界、他




去年マリエンバードで」観る、ファウスト」読む、キャラだけがある世界、他



去年マリエンバードで:

ネットで色々調べるが、
これほど、あらすじ内容が違うのも珍しい。
ホントに、皆、同じ映画観てますか!?

しかしこれが、こそが私の理想。
観た人の観たいモノに成る。


天井の装飾、どこまでもフラクタルに続く。
鏡に映る装飾、絵に描かれた庭、扉のレリーフになってる庭の形、そして庭、
トランプの柄、ゲームに使う棒と、リンクしてゆく。
演劇の背景の庭、絵の庭、庭(映画の中の)、~を観てる人の連鎖が私にたどり着く。

演劇が始まっている。
演劇の中で、男が女をどこかへ連れて行こうとしている。

ここでいきなりラストに飛んでみる。
ロビーで、男と妻らしき女が、同じ様なシーンで幕を閉じようとしている。
この時のナレーションと、最初の演劇のナレーションの内容が重なる。
夫らしき男は、演劇を観ている。
最後まで観ると、2人追う事が出来ないとナレーション。
そして、夫らしき男は、2人の背中を。

始まりに戻る。
演劇を、夫らしき男は観ている、が、講演後は映ってない、
だが、妻らしき女がそこにいる。
物語はそうして始まる。

無数にある平行世界と世界をつなぐ「キー」の多重のレイヤー。

夫らしき男」がゲームを二種類する。
1、3、5、7と棒を置き、抜いていく。
もう一つは、ポーカー。
見えているのは、自分の手持ちカードだけ。
夫らしき男」はどちらも必ず勝つ。
権力、支配力。
夫らしき男」は、父親や愛人かもしれない。

全ては、いずれ、立像や庭園の様に動かない過去に成る。」と、ナレーション。
中盤、男と妻らしき女は、男女の立像彫刻を観ながら、その状況を言いあう。
その後、夫らしき男が「実は、この男女は、、、」と真実を言う。
だが、それが事実だと言う証拠はない。

過去の(死んだ)モノの真実は無い。
観た人の観たいモノに成る。

この映画は、過去に成らないためにループし、物語を生産し続ける。
死なない映画。

あれ?、どっちにしろ、
観た人の観たいモノに成る。
ポーカーのプレイヤーと同じ。

>

今の私の感想:
あのループ空間の屋敷こそ「生」であり、
そこから女をつれて行こうとする男が「死(神)」である。
ロマンチックな見方をすると、死神が恋をした話。


この映画は、ずっと(20年以上)観たかったが、観る機会が無かった。
レンタルも無いし、中古も異常に高いし。

ところが、最近ブルーレイで発売され(て)た!
はい、Amazon。

一番好きなのは、羅生門だけど、気分によってマリエンバード。
ブルーレイ裏表紙に「羅生門」をモチーフにしたと書いてある。

この世界から抜け出せるのは死ぬときだけ。
そんな映画。


ファウスト(第一部)(第二部):

ファウストの最後、「時よ止まれ、お前は本当に美しい」って、死にたくない」ってコトか。


(第一部)ファウストは悪魔と契約、
「時よ止まれ、お前は本当に美しい」と言ったら地獄に行くことに。
これは、「人生に満足した」らってコト。
(第二部)ついに、言ってしまう。
メフィストによって、魂が地獄に行こうとする、
その時、天使に救われる。

だが、だが、
ファウストは厳密には言ってない。
「(将来)○○に成ったら、こう呼ぼう」って話で、実際はそう成ってない。
死んだ魂の近くにメフィスト(悪魔)が居たから、
そういう流れに成ってるが、完全に自然死。
ただ、「そうだけど、言った事は、言ったよね!」って言われれば、言った。
今なら、裁判だ!

未来は、こう成ってほしい、そして、もし、そう成ったら、満足するだろう、、って話だから、
「まだ、死にたくない!」に、成る。

この場面、ファウストは目が見えなく成ってて、作業の音だけが聞こえる。
この事業をやり遂げるためなら「何してもかまわん!」みたいな事言ってる。
最後まで「やなヤツ」なんだけど、これ本当は悪魔が「墓穴」掘ってる音。
巧すぎる。

ゲーテは死ぬ時「もっと光を!」って言ったぐらいだから。
ホントは「格子戸を開けて」と続くらしいが、意味的に変らない。

メフィスト(悪魔)は言う、
死ぬまで、求めつづけた、追いつづけた、結局最後まで、何も握る事は出来なかった。
しかし、天使はココ(常に努力しつづけたコト)を評価し、魂の救済をする。
これ、好き。

作品性より、作家性を重要視する、日本人に受け入れやすい。
私は、行為(絵を描く)をしつづける事をアートだと考えている。
生き仏(座禅をしつづける)も、そうかな。
危険なのは、何でもアートに成る、日常でさえも。

ちなみに、私が読んだファウストは池内紀(訳)。
これも、去年マリエンバードで」と同じく、読んだ翻訳(本)によって解釈がバラバラのようだ。
例えば、「、、時よ、とどまれ、おまえはじつに美しい、、」池内紀(訳)の「お前」とは何か!?の感じ方とか、
文そのものの意味もそう。

Werde ich zum Augenblicke sagen: Verweile doch, du bist so schoen! 
To that moment [that is, when he sees free men on free soil] I might say ― Stay, thou art so beautiful!

追記:
手塚治虫は「ファウスト」を21歳で描いてる。
ファウストの1部と2部をまとめてる!これは天才だって素直に思う。
「百物語」42歳、
ファウストが完全に日本の風土に置き換えられてる。凄すぎる。
さらに、メフィストが女性で、最終的に相思相愛に。
魂の救い方に、(恋)愛が関係して来る。

この本の解説で、ファウストがドイツ語の普通名詞だと「げんこつ」だと知る。
手塚治虫の20代と40代のコマ割りの変り方とか、マンガの歴史。

ネオ・ファウスト(未完、絶筆)、
「百物語」と同じでメフィストが女性。
1970年代の日本、内容は、原作の第一部がほぼ終了。で、
ここまで、取り上げなかった「ホムンクルス」を取り上げている。
これ、ホントに続き読みたい、、原作だって2部から面白く成る、、残念。

原作でも、唐突にでてくるからな「フラスコに入ったホムンクルス」。
人造人間の最初の記述(という記事を観たけど、探せなかった)。
なぜこの話を、ぶち込んで来たんだろう。
進化と文化。

「世界一美しい人へ」と描かれた黄金のリンゴは誰の手に、、、というギリシャ神話があるが、
パリスが「美女(アプロディーテ)、権力(ヘラ)、勝利(アテナ)」の中から美女を選び、
トロイヤ(トロイの木馬事件)戦争に成る。
この話が、ファウスト(全体的)に反映されている、第二部はヘレナ(美女)探しに行くし。
「百物語」、「ネオ・ファウスト」は、ファウストの満足(欲望)を三つの願いに変更している。
巧い!。

ちなみに、ゲーテが最後に恋(17歳の女性)をした場所はマリエンバードである。

201609現在

45歳を超えた辺りから、間違いなく別のステージに強制移動する。
死」の捉え方の問題と、その美意識。
キリスト教圏は魂の救済だから、なんか微妙にズレがあるか、魂は不滅。
ゆえに肉体の復活(最後の審判)で再生(天国)か。
日本だと輪廻に戻る感じ。

知人観てると、自分中心の思考だったのに、
子供(家族)が中心に成ったために、作風の変化が余儀無く。
とかもある。



ただ、キャラだけがある世界:

20年前(2000年頃)、マンガとアニメはアートでは無かったが。
私たちの世代は、マンガこそ芸術だ!と考え始めていた。
だからこそ、アートの素材やネタとして、取り込む事が出来た。
今や、美術館でマンガとアニメは認知され、クールジャパンの先頭に立つ。
美術館で展示されたモノがアートに成るなら、マンガとアニメはアートだ。

マンガとアニメが展示される。
何を観に行ってるのか。
マンガとアニメの中での巧さ、表現力の伝承と進化。
ストーリーや世界観の伝承と進化。
一枚の絵としてみた時、それは、全て断片だ。

主人公の絵がある。
それだけでは、成り立たない、ストーリーや世界観がある。
当然、それは知っていなければ成らない。
日本人は知っている。
海外の人は、勉強しなくてはいけない。
これは、日本にとっての現代アートと同じ。

キャラが自立特化し、ストーリーや世界観のないキャラも生まれる。
ただ、キャラだけがある。

絵(キャラ)の巧さ(キレイ、カワイイ、カッコイイ)は純度を増して行くが、
画面密度が薄く成り、美しさ」の喪失(出版物(量産)の可能性もあるか、浮世絵あるし)。

キャラが無くならないだけで、美術の流れとと同じだ。
この後、風景や人物を視点の変化、解像度の変化などで、色彩や構造に移るなら、
西洋美術と違う流れで、同じ場所に行くのか。


鑑賞者の中に、キャラに特化した絵に満足できない(飽きる)人が出て来る。
一枚絵の意味が再発見される。
切り取って、どう自立させるか。
それでも、キャラを保ち続けるか、、、、。


マンガとアニメ」と真逆の絵が補色関係として必要に成って来る。
マンガ家が、アートをディスればディスるほど強く成る(20年前までは立場逆)。
そこにしか、(絵に関して、だけど)日本にアートの必要性を感じない。

年を重ねると、(流行の)マンガやアニメでは、昇華できない「何か」が溜まって来る。
その層が、流れてくる可能性はある。
目も悪く成るし、集中力も無く成るし、、、。
手の中で鑑賞できるモノ、、、分かるなぁ。


梅ラボ観に行った。
自分の立ち位置の不在。モニターで見る作品、モニターに映るツイッターに切り取られた作品画像。梅ラボの作品と自分とのちょうどいい距離。もの凄くやだけど、ジェネレーションギャップがあるかもしれない。私の上の世代にある「鉄」の様な。梅ラボ(達)は、境界(現実とデジタル)が曖昧。私は、距離は近いが別物。マトリックスの世界観は理解できる。が、何かそれ以上(以外)の繋がり方をしてる。幻覚を観た。風景がピクセル単位で崩れ、風に流された。たぶん、あの展示の影響だ。その時、風景を「一枚の写真(画像)」の様にとらえた気がした。甲殻機動隊(ネットにダイブ)や電脳コイル(ポケモンGO)的でもない。なんだ!?風景の捉え方の変化か?やばいな、チャンネル空けられたかな?そう言えば、キュンチョメさんも風景を画像処理する作品作ってたな。風景、モニターの風景、そこに電脳コイル(ポケモンGO)。普通に風景観てても+2レイヤー。妖怪(幽霊)足したら+3レイヤー。40歳で普通に風景観れた時、感動しすぎて、そこで完結させてしまった。レイヤー足せたのか!これは、面白い。


君の名は」観る:
普通に面白かった。女子好きだろうな、「運命」大好きだもんな女子。コレ観て、はっきり思ったのは、アニメ(とマンガ)鑑賞が限界に来ている。年を重ねすぎた。日本人が作るジジ専アニメ観たい。手塚治虫って凄いな。パプリカとか、マインドゲームとかあるのか。
ああ、そう言う作品作れば良いのか高齢化社会。


去年マリエンバードで(短):

どこまでもフラクタルに続く、天井の装飾。
鏡に映る装飾、絵に描かれた庭、扉のレリーフになってる庭の形、そして庭、
トランプの柄、ゲームに使う棒と、リンクしてゆく。
演劇の背景の庭、絵の庭、庭(映画の中の)、~を観てる人の連鎖が私にたどり着く。

全ては、いずれ、立像や庭園の様に動かない過去に成る。」と、ナレーション。
中盤、男と妻らしき女は、男女の立像彫刻を観ながら、その状況を言いあう。
その後、夫らしき男が「実は、この男女は、、、」と真実(嘘かもしれない)を言う。

過去の(動かない)モノの真実は無い。
観た人の観たいモノに成る。

映画が、過去に成らないためにループし、物語を生産し続ける。
観た人の観たいモノに成る。

無数にある平行世界と世界をつなぐ「キー」の多重のレイヤー。
この世界から抜け出せるキーとは何か。


これらが、今から、これからの行為の基盤になる。




2016-08-23

写楽の線(2):


写楽の線(2):

写楽の線はどういう線なのか、
写楽の線ほど、凄いモノは無いのだが、
一本一本で観た時は、何か足りない。
それゆえ、ゲシュタルトの影響で近くにある線(や色)を引っぱりこむ。
すると当然その空間は歪み運動を続ける。
その運動の連鎖が画面全体に広がり、
私には、写楽のポートレートが立体に見える。

顔の輪郭は黒では無く灰色。
黒は、目、眉、髪で、上部が重く成るから、服の柄で黒を使い、散らす。
鼻が凄い、顔は下から見上げてるのに、鼻は上から。とか、
その鼻筋のラインはどこを描いたの?とか、
この仕様は、鼻のラインだけではない。

もう、究極なんだけど、
描いてないのに、線が見える、とかかな。
まあ、ゲシュタルトだけど。

大きな壁に、小さな作品一点でも、間が持つのを、
情報重力が大きいと考える。
多くの作品を展示する場合は互いの情報重力バランスを考える。
全ての情報には重力がある。
そして、それは立体的に広がり、
線にも色にもある。

なぜ、この話が出て来るかと言えば、
写楽の絵を観ていた時、
情報にも重力があると感じ、
なぜ立体に見えるのか分かった気がしたから。


その辺の事を考えながら描いたのが、2010に描いた下記のシリーズ。
今はそれを、ペインティングに応用している。












このシリーズは2010に、ZENSHIにて個展をした時に、大量に展示。
個展なのに、多く友人の作品がある。と言う、関係性がらみの展示。


展覧会中の記録: http://kaoruarima.blog.so-net.ne.jp/



線について」と、顔ばかり描くのは繋がっている



線について」と、顔ばかり描くのは繋がっている:

手のひらを合わせると線が生まれる。
離せば消える。
この線を約束と考えた。
くっついている。
離れたくない。
ぬくもり。
寂しさ(愛という信仰を強化)という機能が生み出した技術。

「空集の音の間に線は生まれ約束に成る」に、いたる。

のちに、
「約束は景に入り太極を持って風を待つ」の、
文章が加わり、新たな感性、考え方を得る。

その結果、
手のひらを合わせると線が生まれる。
離せば消える」のではなく、広がっている。」と考えるようになる。
すると、
人は線に包まれている、コトに成る。
個がキワマリ、他者性が生まれた。
宇宙と星の関係。


顔には、目、耳、鼻、口」の7つの穴がある。
顔の中にある空間(モノ)。
五感で外部空間と繋がる空間(モノ)。
かろうじてある、輪郭(肉体や個性)。



星座の様なの関係性。
無限にある視点と繋がり。

ドローイングもペインティングも
線が持っている約束で、広がり繋がっている。



空集の音の間に線は生まれ約束に成る
約束は景に入り太極を持って風を待つ

これは心の仕事なり


うちはうち
そとはそと
のんじゃった







でもこれは、うつくしさや、アートとは関係ない。
あくまでも、私個人のテーマでしかない。
生きて行くための。


うのなとなのまにまに
せもしもしらずいのまふるふる






これに「何か」が必要。
でなければ、作品に成らない。



今年(2016)の春に、キャンバスのスタイルが確立し始める。
キャンバス制作5年目。
決め打ち」の発動条件がそろった。
伝えたいコト、画風(制作スタイル)が明確に成り、恋人つなぎに成った。
後は、「つも」と「場の流れ」しだい。
そんなわけで、ここに記す。

わら半紙のドローイングを、最近また描きだしたが、
こっちは、もう、趣味でいい。



ちなみに、

画面の上下を空けてあるのは、一本の線が全てをつなげているイメージ。
もしくは、大きな何かに包まれている。


今年の1月、美術手帳(古本)の2001年12月号を200円で買った。
その中の村上さんと奈良さんの対談があり、その中で、
奈良さんの作品はアートじゃない」って言ってる。
え!?マジ!?
あれが、違ったら、俺もうムリっす。

そう言えば、私の個展の時の文章に「独自の解釈により、、」て紹介されてたな。
海外の紹介の何かも、そんな感じだった。

もう、覚悟決めよう。
俺にアートは分からん。
ただ、理解しようと努力しよう。
日本人も、日本(文化)好きな人は嫌いにならない。


キレイ:バランス。整理整頓。
魅力的:ずらし、くずし。それらが元に戻ろうと欲望をかき立てる。
美しい:調和。それの中にある時、「ぼー」(忘我)としてしまう。我に返った時、それを起こしたモノを「美しい」と思う。
主観:キレイ<魅力的<美しい



木を観る、森を見る、輪廻。
部分と全体のループ。



平行宇宙に住んでいる。
でも、皆遭難です。

だから、約束が必要。

観る:めめめのくらげ(2013):20世紀ノスタルジア(1997):他、


めめめのくらげ(2013):20世紀ノスタルジア(1997):他、観る。


めめめのくらげ(2013):
キャラが、フレンドって名前で、オトナにも見える。
キャラの栄養が、子供の恐怖、不安、怒り(だったかな?)、絶対に裏切らない友達。
だから、ホントの友達がいらない。

最初、子供達は、フレンド(恐怖、不安、怒り)をオトナに隠してる。
でも、最後に、より大きな不安や恐怖に、「みんな」で立ち向かって行く。
そして、すべてのフレンドと共に、敵が消滅。
でも実は、、、、(まあ、不安や恐怖は無くならないから、、)。
泣く人がいるのは、分かる。

あと、カルト教団のあり方がいい。
実は、彼らが言ってる事が「本当」なんです。
これ、柏がホットスポットに成った時、
あるお母さんが、本当の事言ってるのに、カルト扱いされたコト思い出す。

レイヤーの一つ一つは、練り込んであって面白い。
キャラの栄養が「子供の、、」なので、
設定的に「3」にその「別れ」が来ると思うが、これ観てみたい。って、
思うくらいの映画。

が、
それらを吹っ飛ばすくらい、
雑音?レイヤー?が多すぎる。
こんなにギャップのある映画は見た事無い。

これが、映画製作2、3本目だったら、、、て考えると、
めめめのくらげ2、3の期待は大きい。


好きな所、
CG(キャラ)と実写の融合、違和感無い、コレ凄い。
キャスティング。
ベースのストーリー。

子供と、キャラの出てる、教室のシーンとか、ワクワクした。
終盤のキャラ同士の対決とか、普通にカッコいい。


気になった、
意味不明なセリフ、場面あり過ぎ。
レイヤー(ネタ)あり過ぎ。
研究所のシーン酷い。
キャスティングが良いから、一応観てられるけど。


あのキャラをカワイイと思えるかで、評価が激変する。
カワイイと、思えれば、多少ストーリーの流れに難があったとしても、楽しく観れる。
カワイイと思えなければ、意味不明な、映像、セリフに引っかかり、前に進めない。

例えば、
主人公のキャラがカンフーを使う。
二人が出会って、すぐ裏山の神社で、カンフーごっこで遊ぶ。
次の日(?)学校で、キャラ同士の対決で、カンフー使って戦う。
????。
え!?あれで、カンフー使える様に成るの!?
嘘でしょ!?
もしかして、最初から知ってた!?
と、思ってたら、研究所のシーンで、暗がりにカンフー映画のDVDが、映ったりする。
あ、そうなんだね、やっぱり。
だとしても、良く分からないんだけど、、、

もぐらの家」(施設)の看板が、さらっと映るだけとか。
結構重要なシーンを1、2秒。それも流しで撮影。
といった、シーンを見逃してしまい、さらに、進めない。

イジメのリーダーが、父親から暴力を日常的に受けている。
でも、これ、DVDの解説観て分かった。
その子、イジメがばれて、父親に2回殴られる。
このシーンだけでは、無理でしょ。
だって、ここ、普通に、たたく人いるでしょ。
暴力を振るう理由もあるし。

終盤、研究所が破壊されて、崩壊しかかってる場所に、
少年一人残して、プログラム組め、とか、いや、2次災害が、、、とか、
主人公が女の子助けに行くとき、キャラが変形して、一緒に飛んで行くんだけど、
キャラだけで、よくね?もし、主人公が必要なら、キャラ無しで、女子に飛びつくシーンがあって、
それを、フォローする形で、キャラが変形するよね、とか。

数え上げたらきりがないほど。
キルビルで、主人公がカタナ持って飛行機乗ってるのは、笑えるんだけど。
そういうのと、違う。


絵画を制作するみたいに、映画を作った。

完成された、絵があって、そこまでのつじつまは、どうでもいい。

映画は、話が流れるから、うまくネタをつないで行かなくては行けない。
映像とキャンバスの目の動きの違い。
実写に色が足りないとき、周囲との関係性が自然な物を置く必要がある。

2、3の出来次第で、1の見方が、好意的になるかもしれない。


20世紀ノスタルジア(1997):
ダメな人は、最初のミュージカルで、観るのやめるだろう。
そこを、こらえる、もしくは、早送りする。

よく言われるのが、普通のアイドル映画ではない。」ってこと。
ヒロインではあるが、彼女は主人公ではない。

夏休み、
彼女は橋の上で、「電波系の少年」に声をかけられる。
当時、そんな言葉は無い、イタい」も無い。
少年が「私は宇宙人だ、、、、」みたいな事を言い出す。

で、地球の色んなモノを星に報告するという。
彼女は、それを手伝う。
端から見ると「デート」。

夏休みの終わり、彼は急に海外(父の所)に行く事にする。
そして、二学期が始まる。

映画は、ここから始まる。
事故で、夏休みに撮りためていた映像が校内に流れる。
色々あって、映像をつないで一本の映画にする事になる。

映画の中で、映画を作る話し。

彼女は、彼の撮影した映像(ビデオカメラ)を観ながら、
夏休み、彼と行った場所をまわる。
ビデオカメラに映る風景、そこに立ち、彼を思う。

編集の終わりが近づいて来た時に、彼女は気づく。
彼は、本気っだったのか!

映像に頻繁に出て来る言葉、
眠らない都市、ニューロンばちばち、このままでは、地球滅亡。
全部、彼自身の事だった。

このままでは、映画が終われない。
そこで、滅亡は回避された。」と言うメッセージの映像を撮影する。
できあがった映像を彼にも、送る。
そして、彼は彼女のもとへ。

そう、彼女は、主人公では無く、主人公にとっての希望、
まさに、「アイドル」に成る。
そして、主人公とは、大げさに言えば、人類。

こんな、本当の意味でのアイドル映画観た事無い。


この映画は、好きなシーンが凄くある。
なので、時々観たくなる。

工事現場の電源から、電源をとる、コンセントが映る。
コンセントが抜ける、砂嵐(画面)、コンセント映る、抜ける、砂嵐、、、。
このシーン目頭熱くなる。

朝日の空に、二人で文字を書くシーンとかも好き。



夏休み(ブレイク前)と二学期(ブレイク後)で、金の掛け方が全然違うのが面白い。
夏休みのシーンなんて、シャツにガムテープで背番号貼ってあるレベルで、自主制作感バリバリなのに、
二学期からの映像、髪型から衣装まで、オシャレ。
この、ギャップがいい感じ。


あと、声の演技が下手すぎる感じは、しますが、始めに戻ると、これ、
高校生の自主制作映画という形をとっているので、「あり」というか、わざとだと思う。
普段のシーンは問題ないので。
なので、ミュージカルのシーンも「あり」になる。
女子の初恋の感じにも、あっている。
観てるのは、正直キツいが。


後、大切なのは、家庭環境。
彼女の家は親が離婚している(当時はまだ、珍しい)。
彼の家は、離婚はしてないが、父親が海外。
二人は、両親の間を行ったり来たり。
戻るべき場所が、ひとつではない。

あの、おかしな彼に惹かれる理由。


今では、分かりにくいけど、
ノストラダムス、
1999年7月で、人類終わります。
黙示録来ます、感って凄かった、なぁ。


エル・スール(ビクトル・エリセ監督):
ローソクの炎、うつくしい、ミツバチのささやき」よりも好き。
字幕が邪魔だ、こういう映画こそ、吹き替えてほしい。

叫びとささやき(イングマール・ベルイマン監督):
何コレ、凄い。
何だこの映像。
すべてのシーンをスチールにして売れる。
野いちご」は、この監督だったのか。


アンダーグラウンド(エミール・クストリッツァ監督):
ユーゴスラビアの話。ググって勉強。
黒猫白猫」も観る、この監督の作品、じわじわ来る。
アンダーグラウンドまた、観たくなって来た。
オープニングの音楽がずっと頭の中で鳴っている。


山椒大夫」、西鶴一代女」、歌麿をめぐる五人の女」、
祇園の姉妹」、祇園囃子」、赤線地帯」(溝口健二監督):
戦前の溝口健二は徹底的に「女は男に従属する生き方をする」。
男次第で、幸不幸がシーソーの様に変る。
そう言う時代だったし、それを信じていた。
戦後、価値観が逆転して、歌麿をめぐる五人の女」では、
その迷いが出てる、と、特典映像で言ってたな。
当時の祇園の様子とか、勉強に成る。
ググって調べたけど、流石に今とは状況違うみたい。


嘆きのピエタ:ル・アーヴの靴磨き:アクト・オブ・キリング:ぼんとリンちゃん:
まどかマギカ映画前後編(TVとほぼ同じ)+「新篇」叛逆の物語:あの花」:
仮面ライダー鎧武(ガイム):ラブライブ劇場版:ディフェンドー :
+

嘆きのピエタ:

この手の韓国映画は、苦手なので、避けていたが、借りて観た。
この映画でハッキリしたのは、グロくても、食うために殺す」場合は大丈夫だということ。
だから、ゾンビは、大丈夫っだったのか。なので、最後まで普通に観れた。
前借りた韓国映画(タイトル忘れた)は心臓痛く成って、三回に分けた。

この映画の世界観に、ついて行けなかった。
まず、警察が出て来ない。
法律が無かったら、お前を殺してる」と言うシーンが、鮮明に記憶に残ってる。なぜか、
この世界観に法律の匂いが全くしない。
ここに出て来る、登場人物は、被害者でも、加害者でもない。

返すあても無いのに、金を借り、返せないから乱暴される、そして「そいつ」を恨む。
ネタバレすれば、この映画は復習の話。

全ての登場人物が、今さえ良ければ」、自分(子供)は悪く無い」と行動してる。
その、徹底ぶりが凄い。

保険金をもらうために、障害者に成り、それを苦に自殺する人が多いけど、
その流れが分からない。障害持ったら、自殺しかないのか?どんな社会だ。
大量にある、工作機械、鉄くずの山、売ればいいじゃん。
工作機械は、特殊だから、売りにくいとは思うけど。

キリスト教の看板がよく出て来る。
タイトル「ピエタ」だし。
自分本位に生き」行き詰まったら「自殺」。
自殺に救いを求めている。

たしかに、先の読めない展開は面白かった。が、
十分楽しめなかったのは、
中学時、親が連帯保証人で、家をとられ、その後、我が身に起こったコトがあるので、
返すあても無いのに、金を借りるヤツ」にまったく同情しない。

以外にも、未だにこれを、強く引きずってる事が分かった。
そのために、この映画の見所が「そこ」だと言う事に気づかなかった。

特典の中に、監督のインタビューで「動物のようだ」という下りがある。
腑に落ちた。なるほど。

異常なまでの母子間の愛。
これも、距離感ある。


アキ・カウリスマキのル・アーヴの靴磨き:

良い映画。小津安二郎に似てる。
役者、音、色の使い方。
特に赤色。同じ赤。
カウリスマキの赤は画面を動き回り、
見る人の目線を誘導する。


アクト・オブ・キリング:

40年前のインドネシア、共産主義者を虐殺した現在は英雄の主人公。
共産主義者撲滅の映画を製作。
それを外側からドキメンタリー。主人公は共産主義者を演じ、何度も殺される。その映像を孫に見せる、その時の複雑な表情。こんな映画初めてだし、映画の可能性を観た。
ビルの屋上で、殺し方説明してて、ご機嫌でダンス。
終盤、その場所で、吐きまくる。そして、あのラスト映像。この事件に日本も関係してる。


ぼんとリンちゃん:

オタク男女が東京の友達を助けに行く話。
始まって数分、そのテンションと、言葉の選びかたに、ついて行けなくて、
ついに、こんな日が、と思ったが、途中で成れた。
BL女子の主人公が現実に翻弄されるが、自問自答の末「どんなモノにもアナルがある」に帰結。面白い。


まどかマギカ映画前後編(TVとほぼ同じ)+「新篇」叛逆の物語:

神(キリスト的)に成って消えた友達(TV)を、悪魔に成って取り戻す(新篇)物語。凄。
魔女登場のシーンの映像は毎回、ホントに怖い。
あんな世界観に閉じ込められたら、走りたく成る。


あの花」:
メンマ(主役)のキャラ良い。ナデシコのルリ以来の衝撃。
先に映画観てしまった。しくじった。
それは、それで、泣けたけど。
しんちゃんのおとな帝国も、そうだけど、
子供時代のノスタルジーは強烈。


仮面ライダー鎧武(ガイム):

面白かったので、一気に観た。平成ライダーは「アギト」から入ったので、
アギトが一番好きだったのだが、鎧武(ガイム)面白い。
抜いたかも、しかし、これは、シリーズほぼ観てるからかな。
キバと響鬼は観てないけど、どれも面白かった。
後で知ったけど、この脚本の人は「まどかマギカ」の人。

流石に最初は違和感しか無かった。
何しろ、変身要素が「フルーツ」。
10歩下がっても、動物でしょ。
空から、フルーツが落ちて来て頭に重なる。
その絵が、もう、もう、って感じっだったのだが、慣れて来ると、
腹抱えて笑ったりできる。

で、それが、鎧兜に成る!ビックリです。
主人公が中盤、カチドキアームズに成るんだけど、こいつ武器持ってない。
どうすんの?って思ってたら、背中に刺さってる旗を引き抜いて、振り回す。
面白い。
最終変形、極アームズ。全てのフルーツの力が集まる。
この時の効果音の始まりが「フルーツバスケット!、、、」。
腹抱えて笑った。
で、その鎧の胸にフルーツバスケットの絵が描かれてるんだけど、
その絵が、凄く良い。

掛け合わせの発想が、いちいち面白い。
で、この、フルーツにも意味がある。終盤分かるのだが、あるモノを探している。
それは、世界を変えられる力があるが、一つしか無い。
取り合いに成る、戦国、で、鎧。
何を取り合ってるのか、知恵の実「リンゴ」です。
アダムのバトルロワイヤル、なのでラブコメも入って来る。

感心したのが、子供対大人の関係。
序盤、大人の作ったベルトで、子供達が戦って遊んでる。
それで、データとってるんです。
これ、東宝、バンダイと子供達の構図そのまま。
で、子供たちが気づきます。大人にモルモットにされてると。

で、子供達は大人の世界をのぞく。
そしたら、そっちは、そっちで、正しい事してる。
悪意の無い悪と戦ってる。

子供と大人をこれほど対立(対比)したシリーズ無かったはず。
ライダー内にも、ある。
大人が、どう子供達を導いて行くか。
主人公は、かってに大人に成るんだけど。
イヤ違う。このシリーズの主人公は絶対にぶれない。

あと、怪獣がほとんど出て来ない。
さらに、最初に倒したモンスターが実は友人だったとか。
その代わり、ライダーめちゃくちゃ出て来る。

wikiによると
仮面ライダーの成立要素は3つ。
同族同士の争い、親殺し、自己否定。

なので、あの二択を迫られる終わり方も、しょうがない。
普通に考えたら、他にも道はあるのだが、
彼は、ライダーだから。

発想が、絵(画面だから)になり、それで笑えるって凄いことだ。
勉強に成った。


良く分からんけど、終盤、キカイダーとハカイダーが、いきなり出て来る。
映画と関係してるのかな?


ラブライブ劇場版:

面白い、面白く無いと言うレベルではなく、理解できなかった。

1)皆で海外にライブしに行くんだけど、大人が一人も出て来ない。
皆で、ライブする場所を探し、いきなりライブ。
その時、スタッフどころか、客も出て来ない!!

2)メンバーの一人が食堂で泣いてる。
みんなが、一人一人聞く、長いよ!で、答えが「白米食べたい」。
毎回リアクションに、ため(アクション)入れる。
これが、長い。

3)最後に、スクールアイドル皆で、一つの歌を歌う事に成る。
けど、扱いは、バックダンサー。
たしかに、皆で歌ってるけど、、、。

4)謎の女性の存在。これネットでも話題になってる。
さっき調べたけど、正体不明。
私が感じたのは、「未来の主人公」か、「幻覚」。
これ、どっちでも、ヤバいでしょう。
方やSF、方や心の病。

もしくは、全くの別人で、偶然が重なっただけの、ドジっ子キャラ。
でも、主人公の幼少時の思い出を知ってる。


さて、これからが問題。

1)この映画で、感動できる人が大勢いる、と言う事実。
2)謎の女性が、観た人に、どういう結果を招くか、分からないはずは無い。
なのに、なぜ、という問題。
だって、サンライズですよ。で、映像は凄くキレイで、凝ってる。

1)については、なんとなく分かる。
キャラ映画ってことだろう。
しかし、ここまで来ると、ついて行けない。
よっぽど好きなキャラがいないと。
あのキャラの、あのシーン観れた!みたいな。
ただ、これが、最前線のアニメ、なのかもしれない。
とも、思った。

2)これは、難しい。
SFと、とった場合、二次創作の前振り、とも考えられる。
しかし、強引すぎる。

幻覚となると、言葉が強いので、「夢(落ち)」としてみる。
実は主人公が、夢から覚めるみたいなシーンがある。
そこまでは、夢って考え方。
でも、そう成らない様に、あるアイテムが部屋にある。
しかし、この関連付けも、可能性の一つでしかない。

ネットで一番多いのが、未来の主人公説。
これ、SFになるんだけど、以外と受け入れてる感ある。
今っぽい。
だとすると、なぜ、「10年後」とかではなくて、SFにしたのか。

ラブライブは、時間、メンバーに縛りがある。
どうやって終わらせるか。
しかし、制作者とて、お金に成るなら続けたい。

終わらせるけど、続けたい。
この不可能に、挑んだ作品ではある。


犬も歩けば棒に当たる。
この諺は、真逆の意味が存在する。

音がする。
振り向くと、犬、棒、人がいる。
その時、人はこのモノ達をどう関連付けするだろう。
三つとも、全く関係ないのに、同時に目に入ったから、
関係がある様にとらえてしまう。
たぶん、自分が納得しやすい形で、理解する。

ここに、ラノベ要素を入れる。
例えば、犬、棒、人の心が入れ替わった後っだた。
犬には棒の、人には犬の、棒には人の。
散歩の途中で何かあった。

想像が流れ出すと低い方へ流れる。
この映画の制作者は、鑑賞者をどこに流そうとしてるのか。
私は、どこに流されたのか。


これは、「解散」をテーマにした、ミュージックビデオ。
なので、世界観や、登場人物を掘り下げても意味が無い。
のかもしれない。

と、終わる。





ディフェンドー 闇の仕事人(2010:日本未公開):

これはいい。
ネタばれあり。
キック・アス系なのだが、爽快感が無い。
ウディ・ハレルソン演じる、発達障害の男が主人公。
武器が、ビー玉と(瓶につめた)蜂!
はっきり言って、こけ脅しにも成らない。
マッドマックスよろしく、トレラーで突っ込む、
車のサイドの扉が開く、すると、
大量のビー玉が、ジャラジャラ、、、。
そりゃ、負けるよ。
少し、話を変えるが、
2009年にウォッチメンが、
2010年に、ディフェンドー、スパー!、キック・アスが映画に成っている。
ディフェンドーとスパー!は、微妙に似ている。
愛する女性を守るために、麻薬組織と戦う。
スパー!は「お前、人殺したいだけだろ!」な、女性が仲間に成ります。
しかし、ディフェンドーの主人公は、仲間いません、で、死にます!
死にます。
嘘でしょ!って感じです。
普通、防弾チョッキ着てましたって、成るでしょ!
成らない。
そして、最後の最後に、蜂が一匹画面に飛んで来て終わります。
泣き。



ここにきて、
ビー玉と蜂の意味が、、、、。
まあ、この主人公にかかったら、数があっても、あまり変らないんだが。




警備からの卒業(3/14)、なぜならば、、、、



警備からの卒業(3/14)、なぜならば、、、、

4/19から、個展が始まるからだ。
10月だったのが、急に早まった。
作品は、あったので問題ない。
警備員に成る前に、描き溜めた。
半分は、これでいく。
半分は、辞めてから制作。

もう、1年以上も、作品を完成させてない。
二つの事を、同時にできる人ではないので、こう成ってしまった。

10ヶ月くらい、鉛筆も握ってない。
さあ、この経験が、どうでるか、、、。
で、まず、彫刻の原型作って、その間に、
木枠とキャンバス頼んで、、、。

今できる事は、
作品に成りそうなモノは、保留。
他は、はがして廃棄。
制作から、1年経過してるから、
ためらう事無く、選択できる。


14階建てのエレベーターを完成させるのに、一ヶ月かかるらしい!
初日、4tトラック三台来た、全部が工具。
エレベーター屋さんは、数が異常に少ないらしい。
なので、現場で完成が遅れる場合、だいたい、エレベーター待ちらしい。


もうすぐ、この仕事も、1年に成るのか、、、。
3/12から、警備の仕事してるからな。


警備で吹雪体験、もう、思い残す事は無い。
想像を超えた、苦痛だった。

午後に、雨に変ったのだが、まるで、春に成ったろうな、
気持ちに成った。

そして、この日は、生コン。
3台目で、中止。
コンクリは、凍るとNGみたい。


雪を体験してしまうと、雨なんて、余裕だ。


神様、
冬に、三日連続で雨振らすの止めてください。
もちろん、風邪ひいた。


警備の研修で、
作業の手伝いを絶対しないでください。
何かあっても、保険が出ません、自己責任、自己負担です。
と、繰り返して言ってた。

+

18メートルのゲート。
風で、ゲートが倒れるたびに、補強していく。
今現在、一人でゲート閉めると、40分かかる。

突風が吹いたら、終わり。
事故が無いのは、運がいいだけ。

ゲートは以外に重く、倒れたら、一人で復旧は無理。
道路に、吹っ飛ばされた事もある。

本当に、現場は、いつ事故が起こってもおかしく無い。
不意に、やって来る。
運が悪ければ、気づく前に死んでる。

工事現場の、ゲート(入口)は、注意しよう。
できれば、避けよう。


なんで、二回しか、使ってない靴下に穴があくんだよ!
靴は一ヶ月。


現場に泥棒が入った(始めてではない)。
一回目は、近所の三現場、軒並み、やられたらしい。

作業員のひと曰く、泥棒の入らない現場は無い。

ということは、
現場の近くに、住んでる人は、施錠をしっかりした方が良い。
何しろ、現場には、必ず泥棒が、来るのだから。


鑑定士と顔のない依頼人を観た。

美術品とか、聞こえは、カッコいいけど、
完全に童貞を、こじらせた、二次元オタク老人の話だ。
面白かった。3回観た。

ネタバレあり。
なるべく確信に触れない様には、したつもり。
ではあるが、、、、、、、。


最後の展開で、ポカーン。
ネットで、チェックしたら、「あれは、無い!」
主人公への、仕打ちが、ひどすぎる。

早速、二回目を観る。

よくよく考えたら、主人公も、似た様な事してた。
劇中に呪文の様に繰り返されるセリフ、
贋作の中にも真実がある。」だったかな?
この言葉が、最後の希望。

原題が、
THE BEST OFFER
OFFERの意味には、
申し出る、提供する、身を捧げる、提示する、売り出す、求婚

印象に残るのは、誕生日のケーキ。
オートマタの存在。
ネットで、調べても、その、記述が出てこない。
最後の展開が衝撃的すぎて、こっちまで、気が回らないのだろう。


最後のシーン(衝撃の展開の後)、
主人公(彼)が、ゼンマイが大量に稼働しているカフェに、一人で入る。
彼は、手袋をしていない。
一人ですか?」と、聞かれ、
少し間を置いて、連れが来ます。」と、言う。
聞かれるまで、どうして、ここに来たのか、分かってないようだった。

映像が、下がって行く。
彼は、小さく成って、実際のゼンマイと、大勢の人々にまぎれる。
まさに、部品の一部に成った様に。
主人公の上にある、時計は止まっている。
彼の前の席は、今、空席だが、そこに、待ち人が来たとき、
物語が語りだす(のだろう)。
この辺が、オートマタと関係してるのは、間違いない。

そして、それは、鑑定士として、嘘の中の真実を確かめるため。
伏線から考えて、来そうではある。
ハッピーエンドを願う者として、、。


才能が無いと、言い続けた作家の作品だけを持って行く。
あれだけ、何の価値もない、と言っていた、作品なのに、
とても大切な作品に成っていく。

その作品だけに成る時、まあ、映画では、ああいう風だけど、
ああ言う時、頻繁にあるよ。作品より、愛する人を選ぶよ的な事を、言ってたら、
妻が、それは、作品への冒涜だ!とか、言い出して、
おまえは、その選択を、頻繁に俺に問うのに、どういう事だ!って喧嘩に成った。
まあ、気持ちは、分かります。


最近、ゾンビ映画を観すぎて、
寝汗が凄い。

今日はこんな夢だった。
ラーメンを食べようと、野外の自販機で、
食券を買おうとしたら、手に持っていた、
袋一杯の小銭をまき散らし、
雨の中、皆に、小銭を拾ってもらう、という、
とんでもなく恥ずかしい状況の中、
目覚めた。
汗びっしょりだった。


ナルトが、今週号のジャンプで終了した。
今週号は、2話(699、700話)ある。
いつまで、続けるか分からないが、
ジャンプをネットで購入(ダウンロード)している。
900円/月。こっちだと、ナルトのカラー版があって、
アメコミの色と比較できる。
で、本題。
696話で、分身をしたナルトにサスケがこう言った。
「それは孤独を紛らわせるための術だ」
凄い。
これそのまま、作者に跳ね返る。
何しろ、主人公の必殺技だから。

作者が、それに、いつ気づいたのか分からないが、
それが、分かった時、この物語が、幸せな終わりを迎えることは、
決まったんだと思う。
なぜなら、作者は、とんでもなく成功したからね。

20141110


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