2020-07-02

FAUST IN MARIENBAD by Ishinomaki2019

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KAORU ARIMA:
FAUST IN MARIENBAD by The quest for Art:

 /202007

text:
FAUST IN MARIENBAD by The quest for Art:
世界はやさしい、だからずっと片思いをしている。:
ART DRUG CENTER、キワマリ荘
キワマリ荘の作り方:
れんこんのなか:
この言葉たちに支えられ目標にして作品を作っている。:

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FAUST IN MARIENBAD by The quest for Art:

思えば、私は作家性重視の生き方(ロードムービー)を選んだ。そして「アートとは何か。人とは何か。幸せとは何か。」を問い続けてきた。今回は5つの壁に5つのテーマがある。彫刻、ペインティング、ドローイングをテーマごとに展示する。「私(人)の内と外」、「途中と永遠」、「社会との関係」を形にする。5つの壁(5つの展示)を通して見える「私」の展示だ。そして人の在り方と生き方の展示。

21歳の時、ボイスの資料映像を見た。その時彼は言った。「コレを見て、わたしにもできる!と思ったら、それは君がアーティストだからだ。後はやるか、やらないかだ。」何者かに成りたかった私は飛びついた。続ければアーティストでいられる。気づけば50歳を過ぎていた。

この展覧会は、ファウスト(小説):生に執着し、努力し続ける行為。
去年マリエンバートで(映画):変化し続け終わらない永遠。
ミイラ肖像画:人の死と藝術による永遠。から影響を受けています。
この展覧会は、あなたにとって、始まったばかりですが、既に終わっていたり、未来で始まったりしています。形は在り方、生き方で変化し続けます、繋がり広がる線のように。

在り方:
1)線について
・空集の音の間に線は生まれ約束になる、約束は景に入り太極を持って風を待つ。
・手を重ねると線が生まれる。手を離すと線は消えるのではなく広がり、全てを繋げている。
2)人は「本来無一物」という空集合<空集の芽>を皆が持っている。
3)1)と2)より、外は外で、内は内で(共有)繋がっている。
・モノは視点や思いによって見え方が変化するが、本質は変わらない。
<うちはうちそとはそとのんじゃった>

生き方:
・ずっと途中で先端。
・生に執着し努力(変化)し続ける行為。
・寿命(枠)があるから瞬間が美しい。
・日常(日々)の中の美しさ。
・何もない」の中にある美(愛)。
・太極思想
・形にならないモノを要素(形)として作品にする。

まとめ:
形は在り方生き方で変化してゆく。
人(形)とは「何」だ。
人が生きるとは「何」だ。
<うのなとなのまにまにせもしもしらずいのまふるふる>
<FAUST IN MARIENBAD>
<The quest for Art>

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世界はやさしい、だからずっと片思いをしている。

まず、時を遡ろう。1997年(28歳)当時の私は、自己治療(昇華)中。理由は、思春期に「何の取り柄もない、落伍者、バカ」と、言われ続けていたコト、親戚が夜逃げ(父が連帯保証人だった)、我が家は借金返済のため全てを失い、その後離婚にいたり、極度の人間(自分も含む)不信になる。簡単に言えば、自分と社会を恨んでいた。後に「本来無一物という言葉を知ったり、人は一番大切なモノのために(良くも悪くも)嘘をつく」をポジティブに受け入れるまで。その頃に、とても隠微残酷な「ART DRACULA」展を開催する。その時の芳名録に岩田さん(犬山のキワマリ荘の大家、私設美術館の館長)が、こう記入していた。「せんは必要なくなったとき そこにあるのかもね」。全く理解できなかった。彼は「鑑賞は真剣勝負、殺し合いだ!。変なもの見せると死ぬぞ!」って人だった。
<ART DRACULA>
10年後の2007年(38歳)「マイクロポップの時代」展のために、水戸に引っ越すことにした。1998年にto the Living Room  展(ワタリウム美術館)で「半年住む」という展示をしていたコト。や、思いもよらぬ成功によって達成感が生まれ、作品が制作できなくなって(煮詰まって)いた、のもある。引っ越す時、岩田さんに、もらった言葉は「すべては覚悟の問題だ、頑張れ。」だった。
<岩田さんの餞別書道>
岩田さんの書は引っ越しても、常に目に入る壁に飾ってある。自分への戒めである。それから時が過ぎ2019年(50歳)。岩田さんも向こう側に行ってしまった。今、私が彼のような立場になっている。「せんは必要なくなったとき そこにあるのかもね」言葉の意味は今もわからない。今ここでしてることが「そこにある」のかも。
お前の作品は「アートではない」、「自分のためでしかない」と言われながらも、「それでもいい」と歩み続けて来た。そう、これは、芸「術」ではなく芸「道」に(目的を)覚悟を決めた人(文化系極道)の生き方でもある。そもそも「自分のため」以外の選択があると私には思えない。自分のためが「他者のためになる」か、他者のためが「自分のためになる」かの違いでしかない。「どちらが優れてる」ではない。個の追求の果てに他者性もある。全ては、繋がっている、生も死も夢も現実も。そしてずっと途中で、ずっと先端。生きる永遠、死ぬ永遠。
<うのなとなのまにまに せもしもしらずいのまふるふる>
これを岩田さんに見せた時、「お前そのものだな」と言われたことを今でも思い出す。
だから「何」だ、と声がする。
<個の追求の果てにある他者性と、その奥にある風景>
「ファウストを読め!!」岩田さんに再三言われた。思い出す度に読み返す。自己治療の作品が終わった後で、もう一度大成する作家は稀らしい。その代表がゲーテの「ファウスト」らしい。
いつか、向こう側に行って、岩田さんに会えたら、「世界はやさしい、だからずっと片思いをしていた。」って言うだろう。そして、多分「死ね!」って言われる。(終)/20190803

FAUST IN MARIENBAD  by Ishinomaki2019/RAF2019で使用したテキスト。

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ART DRUG CENTER:「アートは人の心を治療する薬である」から名付ける。愛知県犬山市のキワマリ荘内にあった多目的スペース。1997~2007年の10年間で141回の展覧会を開催。2019年宮城県石巻市にて再開。

キワマリ荘:愛知県犬山市に多目的スペースとして1996年にオープン。2007年に水戸に引っ越すことになり代表を変わる。2007年に水戸のキワマリ荘をオープン。2009年に千葉県柏市に引っ越す。前回同様に代表を変わる。2017年石巻のキワマリ荘をオープン。2019年に地元の作家に任せ、近所にART DRUG CENTERをオープン。

artrφn(アートロン)プロジェクト:TRONプロジェクト(1984年に始まった坂村健によるコンピュータ・アーキテクチャ構築プロジェクトで、「オープンソース」「オープンデータ」「オープン API」を標榜。)への共感にARTを加えた造語。アート(美)が簡単に制作や所有ができたらいい。アートのオープンソース制作プロジェクト。気になる作品があったら、描き写してアート(思い)を持ち帰ってください。artrφnのφは空集合を表す記号とキュービット(量子コンピュター)の0と1の重ね合わせのイメージ。

近況:「ネオギガ」展(1994):絵画は楽描きを極めればいい、「継続と日常」展(1995):日常がアートだ、「鑑賞と忍美。」展(2001):鑑賞の仕方で見え方が変わる。耐え忍んだ極みに美がある。ART DRUG CENTERは「アートは人の心を治療する」など、私は常にアート(美)とは「何か」を問い続けている「ロードムービー」だ。ここ最近は関係性だ、と思い色々してるわけです。そもそも新聞紙の作品(1998~)も関係性と当時から言われており、その拡張としての「街(石巻):キワマリ荘:ART DRUG CENTER」がある。


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キワマリ荘の作り方:
・あったらいいのに、無いモノ(場所)を作る。
・そこにいけば、仲間がいる。」という状況を作る。
・カリスマリーダーはいらない。その人が移動するとその場所に人がこなくなる。
・短期展望ではなく長期展望が重要。5年、10年先をみて動く。
・人よりも場を強化すること。
・失敗や成功を考えるより。やりたいことがあったら、やる。
・絶対に無理をしない。
・作家同士の感想(批評)を言い合える場所にする。
・一時的な話題性(を作る)に振り回されない。
・居間を作る。
・ここから、世界に発信しているという覚悟を持つ。
・良いモノは取り入れる。しかし、表面上のコトだけを真似ない。
・お互いに手を抜くから、グループ展はNG。ただし企画展はOK。
・一人一人の関係者は50人前後だが、3人個展できる環境があれば150人になる。
・展示期間は1~二ヶ月。一週間だと、いくら良い展示をしても、人が来れない。
・都会にあるギャラリーを目標にしてはいけない。関係者の数が圧倒的に違うし、情報の消費速度も違う。
・グループの思考が固まり澱まないように、風通しをよくするシステム(展示、企画)を作る。可能であれば、メンバーの流動があればなお良い。
・とにかく待ち、才能を集める(固める)。そして、目的を持った方向を決める。1年近く営業してると、静観してる人が動き出すので、その人達を確保。
・地元の未来を語る展示は地元の作家がやるべき。そういう場所を作り、育てようという場所。外部の作家やメジャーな作家に頼ってはいけない。自分たちが、そうなる。そうなるための展示をしていき、企画を立てていく。
・一般の人にあまり期待しない。彼らにとっては、単なる消費情報の一つ。自分たちも同じ事を他のジャンルに対してしている事を自覚する。
・ギャラリーは普通無料で鑑賞できる。なので、展示する側、ギャラリーはどうせ無料だし、と思ってしまうが、実は、その人の時間や交通費を使っている事を自覚すべき。千円使った時にもらえる満足度を用意。
・経済的豊かさよりも、個人の幸福度を上げる。
・絵画の作り方と似ている。点線面。まず下地(場所)、点(最初は首謀者)、点を集め、線に、そして面に。まず、首謀者の目立つ点を画面に起く。点を集め画面のバランスをとる。最終的に首謀者の点を消して画面を整える。さらにその場全体が点に成って新たな始まりの可能性。

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れんこんのなか:

不自由は自由の海に有る浮き輪。キレイとは整理整頓。うつくしさとは調和。机の上を「うつくしくしなさい!」とは言わない。うつくしいと感じる時は、後になってから、その瞬間は、自分も含まれてるから。左脳と右脳、連想と例え、アレとソレが同じだと感じる事、感謝と恐怖、表現の始まり。答えは始めから存在する、問題の方が重要だ。イコールの存在が厄介だ、同じにするために、数にする事。THE SUN COMPLEX & HEALING BY THE MOON。こころ」と言った。観た人の観たいモノへ。自分にとってのモノコトではなく感じる。指で自分の顔の中の骸骨を触る、外なのに中にある。コマとコマの間、見えていないものを観るためには。見せたいモノは絵じゃなくて、その向こう。モノの形よりも、モノのあり方に美しさがある。物語。誰が描いても、何枚描いても、美しさは劣化しない。空集の音の間に線は生まれ約束になる、約束は景に入り太極を持って風を待つ。天才と馬鹿が紙一重なら、馬鹿側からが近いはず。よわくなる。楽描き。五感の0時0分0秒を目指す。それでも生きてゆかねばならない。ここから、はじめよう。しゃかはきのした、だるまさんはあなのなか。ふゆのきぎ、えださきにあめのつぼみ、そらがさく。しごとはいきること、しゅみはせいかつ。みらいはえだとねのさきに、いきることはかこもみらいも。ゆるしかんしゃいかりのさきわれ。うちはうちそとはそとのんじゃった。わとわとわ。うのなとなのまにまに、せもしもしらずいのまふるふる。日が暮れ、ご飯を食べる、食べたいうちは生きたいんだ!と、感じる?でも、そういう所に、しあわせ」とか「うつくしさ」とかの、始まりは在る。つづく。みること、きくこと、かんじること、遠近法を使わないで、あること。昔、人は役割しかなかったのだろう、それに対応できない人が、バカにされ弾かれた、外に出れば、自由と孤独の狭間に何が生まれる、今や逆転。スイッチではなくボリューム。多神を包む海。バランス。時=流+刻+間。過去が存在するから、未来が生まれる、過去と未来があるなら「今」は点になる、今」が無くなれば、過去に縛られ未来が消える。過去は記憶、宇宙は「いま」しかない。aとbの間を移動する、その移動時間を無駄と感じるなら、一時間が十分になっても無駄。アートは人が自然(風景+時間+空間)を所有するための行為。身を守り、勝ち所有し、自らが自然(神)に成る、しかし、区切る事によって生まれるモノは本来の姿ではないから、永遠に自然に到達する事はできない、それが、狙いか。名を付けて所有する、要らないモノは外に出す、気づけば自分以外はゴミばかり。いのち」は何を所有しているのか、何か所有したいのか、もともと「いのち」は調和だし。いざと言う時、何を守るか、何を選んだにせよ、善悪はない、後で迷いさえしなければ。覚悟さえ決めていればどんなときでも、幸せだったりするのかな。わたしたちは、いつも永遠のはしにいる。わからでようとして、わをおおきくしてる、でるためには、わになるしかない、それでも、れんこんのなかだけど。ひとはわのなかを、じぶんのものとおもう、まるいたまのまんなかに、せんをひいたら、どちらがじぶんのもの。せんじたいがじぶんだ、ときづいたとき、わからせんになる、それでも、れんこんのなかだけど。きらなきゃいっぽん、はながさく、となりのはなが、ちょっときになる。しあわせ。等間隔に刻むリズム。今思う、続ける事は難しい、特に現状維持は難しい。ぬくもり、あんしんかん、しんじて、うたがわず、いつか、わたしも、そとからか、なかからか、そして、ありがとう。と、

2009/11/06  有馬かおる

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この言葉たちに支えられ目標にして作品を作っている。



<一休宗純>
有漏路より無漏路へ帰る一休み
雨降らば降れ風吹かば吹け

生まれては 死ぬるなるけり おしなべて 
釈迦も達磨も猫も杓子も

白露の おのが姿は 其のままに もみじにおける くれないの露
年毎に 咲くや吉野の 桜花 木を割りて見よ 花のありかを

あるとみて なきは常なり 水の月
ないとみて あるは常なり 水の月

<良寛>
ぬす人に取り残されし窓の月
裏を見せ表を見せて散る紅葉

<小林一茶>
馬の屁に目覚めて見れば飛ぶほたる






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FAUST IN MARIENBAD series:

FAUST IN MARIENBAD  by Ishinomaki2019
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RAF2019の私の展示は右回り、左回りでタイトルが違う。左が「世界はやさしい、だからずっと片思いをしている。」、右が「FAUST IN MARIENBAD  by Ishinomaki2019」。今後私の展示タイトルは「FAUST IN MARIENBAD  by xxxxxx 」。そう言う展示。
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FAUST IN MARIENBAD by Paris 2019

FAUST IN MARIENBAD by The quest for Art/2020
http://www.misakoandrosen.jp/exhibitions/20/03/index.html