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2013-12-19

間と言うものを、考えてみた。他


+

作品を観る。
何か、ピントが合わない。
ある部分がとても気になる。

とは言え、
その部分を加筆すれば、
全体のバランスを組み直さなくてはいけない。
なんとか、
今の雰囲気を、保ったまま、
ピントが合うように、成らないものか、、、と、、

先人たちの、画集をめくり、
画像を検索し、
首を左右に振ったりする。
我に返った。

何か、ペインターっぽく成って来たなぁ。

キャンバス作るのが、かなり疲れる、とか、
下地に、なんで、あんなに、時間と金をかけるのか、
とか、前よりは、分かるように成った。
絵を描くまでが、これほど大変だとは、、、。


+

好きなように絵を描く。
人に何か言われて、傷ついたら、
好きな事をする」覚悟が足りないと、さらに、もぐる。
そのうち、誰に何言われても、動じなく成る。

好きな事を、している、だけでは評価されない。
同じ様な人間が集まって、共感し、慰め合う。
突き抜けたって、同じだ。
基準が無いのだから。

だが、日本人は、作品性より、作家性を重視する。
よって、突き抜ければ、作家性や人間性が評価される。
そして、それに、作品が付いてくる。

そういう、やり方もある。
まったく、お金にならないから、時間がかかる。

ただ、皆が、何を思って、どこを指して、上手いとか、下手か言ってるのかは、
知っといた方がいい。


+

間と言うものを、考えてみた。
今まで、間は、見た人のみたいモノが観える。と、
考えていたが、
実は、みんな、同じもモノを観ているのでは、と、、、。

There is a pen on the desk.

日本人なら、「ペン、机!」で状況によって、通じてしまう。
それは、先ほどの「ペン、机!」に、間をまとっているから、
ではないのか?
そして、その間が、何を意味するのか分かっている。

英語は 「on」が無いと、pen と deskが分離してしまう。
「on」という状況が必要に成ってくる。
絵の構造の中に「on」が必要に成ってくる。

英語に全く詳しくないので、何とも言えないが、、、、
続けよう、、、

絵画もそうで、日本人の作品は日本語で、できている。
当然、間をまとっている。
そして、その間は、日本人なら、雰囲気で理解してしまう。
今で言うなら、icloudで、日本人が繋がっている。
共同幻想、共同意識、まあ、なんでもいいけど、
良くも悪くも、そういうことだろう。
何より、間は重要な美意識の一つだ。

これを、英語圏の人に理解してもらうのは、大変な事だ。
ほぼ、理解できないだろう。
だからこそ、
Japanでくくる。
それは、それで、面白いからだ。

英語圏で作品を流通させるためには、
作品を英語で制作しなくては、いけない。
いかに、間を排除してゆくか。

絵画の勉強も、英語の勉強も、ろくにしてこなかった、、
必要無いと思っていたから、
実際、最近まで、必要なかった。

ふぅ。
なんぎな話だ。

洋画(日本の)は、日本語でできている。
から、私の様なモノは、
こっちから、勉強した方が、理解しやすいのかもしれない。


+

アクリルで紙パレットを使い、
ある程度絵の具が盛り上がってくると、
絵の具だけ、奇麗にめくれる。
それ知ってから、紙めくってない。

また、めくれた絵の具の層が、面白く、
しばらく、何枚か保管していたが、
どうも、今の作風には合わないようで、
全部捨てた。

+

キャラが立ってると、
紙からキャンバスへの移行は、しやすいのかな。
キャラのある人は、立体制作すると、絵画技術が異常発達する。
苦労はすると思うけど。

私の場合、
紙からキャンバスへの移行は、失敗の連続で、
結果、全く違う感のある、作風に落ち着く。
これは、キャラ移植ではなく、
構造を移植したから、もしくは、しようとしてる。

キャラや、世界観の移植は、
金が貯まっては、挑戦し、失敗し続けた。
理由が分からないから、
キャンバスはあきらめていた。

いや、ピカソの絵が絵画として成立している以上、
ただの技術不足だな。

いや、まてまて、
私のドローイングの作風の背景は間であった。
何もか描かない事が重要だった。

しかし、キャンバスでは、
背景(下地と言っても良い)が、以上に重要だ。
その事に、気づいたから、
キャンバスに向き合う事ができるように成った。と、
言っても良い。

+


2013-10-10

作風を巡って、夫婦生活の破綻に発展しそうな、勢いに成った。


+

妻に新作を観せた。
2パターン。
一つは、ドローイングの人物。
これは、良かったのだが、、、、。

もう一つの作風を巡って、夫婦生活の破綻に発展しそうな、勢いに成った。

それには、人物が描かれて無く、
かといって、風景でもないのだが、

2、3時間の激闘だった。
私の、一番の理解者であり、支援者であると、自負している妻が、
涙ぐみ、
分からない、
一時間観ても、分からない。
と、つぶやく。

これを、理解できる人がいるなら、
その人と、一緒に成った方が、いいのでは?
と、
その落胆ぶりが想像できる。

これは、久しぶりに、
何を言われても動じない作品ができた!
と、追い打ちを、かけるように、言ったもんだから、
なおさらだ。

以前の私なら、
分からないなら、それでいい!
プイ!
だが、流石に、結婚して考え方も大人に成った。

理解してもらえないのは、
言葉が足りないからだ、

しかし、作品をうまく言葉にできない。
だが、これは、正しい、という確信がある。
ならば、それを信じ、
あきらめずに、言葉を交わすしか無い。

海外でのやりとりでも、そうだが、
英語のほとんどできない、私だが、
お互いが、あきらめなければ、必ず伝わる。
伝わらない時は、
どちらかが、あきらめた時だ。

なので、この方法は、
相手に対する信頼(縛り)がないと無理なのだが、、、。

とにかく、妻に、作品を説明する。
一番の理解者であり、支援者である人を、納得させられないようでは、
この先は、無い。

作品と私の間に、どうしようもない壁がある。
意味が分からない。
絶望。

これを美術館で観たら、
無視か、過呼吸起こす。

これは、ドローイングなの?
ペインティングなの?

これは、モノを表現してるの?
コトを表現してるの?

この作品が、誰にも受け入れられなくても平気なの!?
それ何言ってるか分かってる!?
一人でイイってことだよ。

ここで、私のいる意味って何?
って、当然の疑問として出てくる。

まてまて、その世界観は、
ゴシップガールの世界観だ。

お前の聴いてる音楽に、全く興味をしめせないのと、同じで、
そういう部分は、あっていいし、あった方がいい。
大事なのは、お互いに観る事ができることを、作ってゆくコトだし、
選択は多い方が良いし、
何が良い、悪いでもない。

と、説教っぽくなってきて、作品と関係ない生活の話になり、
妻がイライラしだす。
まずい!

妻が、ティーブレイクを要求。
賛成。
で、

これは、ドローイングなの?

絵画でいう、ドローイングとは少し違うかもしれない。
ドローイングっていうか、
動詞って、始まりは、行為だから。
線を引く時の行為をする。
この行為から来るイメージが言葉に成ってる。
言葉にすると、バラバラになるけど、
行為からくる、イメージをそのまま作品にする。
と、訳された言葉がすべて、作品に封じ込まれる。

だから、ドローイングの始まり、というか、
元素というか、、、

ここで、妻の曇った顔に光が射した。

肉体の細胞一つ、取り出しても、
何がなんだか、分からない。

でも、それが、始まりで、それが全て。
自分でも、あ、たどり着いた!と感じた。

そんなわけで、一連の作品(シリーズ)のタイトルを、
ドローイングの元素(element of drawing)と決めた。

そして、嫁が、こんな要望をしてきた。
キャンバスに直に手で描いてみて、と。
以前の私なら、プイ!だが。

了解した。

いつやるの?って聞いてきたから、
今は、やらないよ。
描きたいのあるから、その次に描くコトに成った。


とりあえず、今回の夫婦の危機は去った。

+











2013-09-20

鈴木先生を観る

+

今更だが、鈴木先生」(TVドラマ)一巻レンタル。
次の日に2~5巻までレンタル。
5巻(最終巻)の、鈴木裁判は、おすすめ。

設定は中学二年。
先生のデキ婚が許せない女子生徒の意見を出発として、
避妊授業の是非、
生徒たちが、プライベートを暴露していき、後戻りできなくなってゆく。
何が良くて、何がダメなのか。

その中で、
女子だって、ナマをガマンするのは、大変なんだよ!
って絶叫するセリフがあって、
マンガ、テレビ、生活の中で、一度も聞いた事がない。
内容も、そうだけど、
こんな事が、まだあるんだ、、と衝撃を受けた。

全編とうして、生徒の絶叫に、くせがあって、好き嫌い分かれそうだ。
リアルというか、生々しいというか。
視聴率は、低かったみたいだ。
ゴールデンタイムで、平均2.1%って!
分かる気がする。

ググったら、原作はマンガで、
無料アプリで、全巻読める!って、ダウンロードしたら、
二話目から有料に戻っていた。
4月に映画があったみたいで、それに、あわせたのかな。
残念。
原作の鈴木先生の彼女も、生霊飛ばすのかな?
ググった。
飛ばすみたいだな。
(二日後に、マンガ(全11巻)レンタルした。)

学園モノで一番好きかもしれない。
生徒どうしの討論で解決していったり、
クラスが重要で、生徒の目線、仕草、発言の順番とか、
先生の観察の視点とか。

クラス分けから、始まって、
実験という言葉を連発。

今の学校教育は、
手のかからない子供の心の摩耗の上に支えられている」
このセリフが、語るように、
ストーリーの推進力となる、不良、いじめ、パソコンおたく、
等は、存在せず、いたって、まじめで、おとなしい生徒が中心と成る。
テレビドラマでは、クラス替えの時に意図的に、先生が仕組む。

何よりも、中学二年という設定がすごい。
卒業という、カタルシスに向かって、進めない。
進まない事。

鈴木先生は、そんなこんなで、不良が出てこない。
が、原作マンガ後半、映画に、卒業生(元ヤン)として現れ、
鈴木先生を、嫌っていて、
優等生ばっかり、ひいきしやがって、
あんたに、一人でも卒業してから、会いにきたやついるのかよ!」と、問う。

実際、一人もいない。と、つぶやく鈴木先生。
エグい。
生徒だけでなく、同僚の一部からも、嫌われている。
人気投票で一位、嫌いな先生で二位、という存在。

このドラマ、嫌いなものも、排除しない。

この辺が、このドラマの核となるのだが、、、、
八百万の神の影響なのか、
禅の影響なのか、、、

鈴木先生(マンガ、ドラマ)の考え方好き。

そして、何よりも、
テレビドラマが、原作にとても忠実で、分かりやすい。
両方見ると、驚く。
すばらしい!
子役が原作にそっくり。ってそんなことではなくてね、、、。

ちなみに、さっき、映画もレンタルして見た。
桐島、部活やめるってよ」なみのレンタル率で、
やっと、今日借りれた。
あの視聴率で、映画とか、信じられんけど、、、。

原作の8~11巻をまとめた感じ。
よくまとめたと思う!すごい!
生徒会編と、演劇編。
面白かった。

桐島、部活やめるってよ」とかも、そうだけど、
学園モノの切り口って、
まだまだ、あるんだなぁ。


+






2013-07-01

線の弾き方


+

線を弾くまで:

まずは、どこから入るか。
下からか、上からか、
右からか、左からか、
円なら、閉じるのか、
どれくらい開けるのか、

上から下の場合、
どれくらいの長さにするか、
勢いは、
色の濃さ(線の深さ)は、
どう止めるのか、
はらう、跳ねる、断絶。

描く時の紙の置き方も重要だ。
テーブルで描くなら、
画面の下に重力が向く。
そうした時の線の広がりは、
苔が広がるような、
水が広がるような、
なので、
上から下に線を弾こうが、
逆に弾こうが、
あまり重力バランスは、関係ない、のであるが、

一般的に、下から上、右から左には描かないので、
そういう線を弾くと、
そこに、意味が生まれるような線に成る。
少しぎこちなく、力強い線に成ってしまう。
そういう線が必要なら、それでいいが、
目立ちすぎる時は、紙を回転させる。
円を描く時も、そうだが、これは、あえての線。
意味を持ってしまう。
意味を持つのは、良いのだが、
テーマと関係ない意味を持つのは、ダメだ。

例えば、
下から上に向かう線は、
植物の線、
モノが成長する線、
この線をさらに強調したい時は、
紙を垂直にして描く。

イーゼルなんかでもいい、
そうすると、重力がちゃんと画面の下にかかる、
から、より、上に向かって伸びる線になるし、
腕の振りも、重力に逆らっているので、
より強い線になる。

考えると、
山の線、海の線、雲の線は、使い分けてる。
線の性質。
火の性質の線は、あまり弾かない。
描けないかもしらん。
触ると火傷する様な線。

で、全体として、
結局何をしてるのかと言えば、
画面内の重力バランスを均一にしている。
これが、異常に難しく、
500枚が100枚に成ってゆく。

わら半紙の作品の場合、
物語性も重要なので、それも踏まえて、
線を散らす。

そして、抜いてゆく。
間を作ってゆく。
抜きとか、空きとか、では無く、間。

例えば、
テーブルの上に三枚の皿が置いてある。
その感じを、二枚の皿で表現する場合。
ただただ、
テーブルから、皿を一枚抜くだけでは、ダメ、で、
二枚の皿で、さらに、試行錯誤しなくては、いけない。
そして一枚に持って行っても、
抜いた二枚の皿をイメージする何か、

あるようなない、
ないようなある。
見た人の見たいモノが見える。
そんな、間。

んんn、
よく分からん説明になったというか、
ポエム過ぎると、言われそうだ。

例えば、L字のグラフを描く。
逆かな、↑から、真ん中の棒を抜く。
へ、の字の真ん中に線を見ることは、
できないだろうか。

ゲシュタルトかな。
簡単に言えば、で、
その!見えない線の活用方法が、
ドローイングの極意だったりする。
私だけかも、しれないけど。

で、そんな線の群れの、バランスを均一にする。
宇宙にある星のように、
ただし、
ある、一部分だけ、ずらす。

重力のバランスを崩す。
崩れた線は、
星の重力の様に引き合う。

画面の中に、永遠に落下する運動を、
封じ込める。

これで、その絵は、永遠に動き続け、
終わることのない、
ずっと途中。の状態になる。

これは、やりすぎると、
イライラする絵になる。

厚みをだすために、
画面の奥行、レイヤーでもいいけど、
必要になってくるので、
線の濃淡、細い太いは、重要。

ずっと。UNIの6B使ってたけど、
今は、ドローイングペンシルなるものを使用。
描いてしまうと、完全には消えない。
が、油が入っているのか?
黒に粘りと、深みがある。
好みの黒だ。
芯が太いので、小回りが効きにくいが、
大雑把な感じに成るのもいい。
大きく描けば問題無いのだろうが、、、。

消し後が、残るから、
それを利用する方向に価値を見出さないと、
いけないので、
間、を作るのが難しい。
だ、からか、
絵が、広がる。

線の深みを変えるために、
プラスチックのテーブル、
カッティングマット、
畳の上、と変える事もある。

前は、ぼやぁとした線から、ハッキリした濃い線。
霧の中から、こんにちは」的な感じ、
レリーフ的な画面を作っていたが、
最近は、空間が見れるようになったので、
レパートリーが増えた。

前の方が見やすいかなぁ。
もしくは、まだ、空間把握の表現が、
血や肉に成ってないのかな。
まだまだ、説明が過ぎる。

鉛筆に戻してみようかな、、。

>
鉛筆に戻して、一週間経過。
こっちの方が、しっくりくる。

久しぶりに、
己の軟弱さ、闇の深さを観た。
しばらく、潜るかな。

+



わら半紙を買ってしまった


+

わら半紙で、絵を描き始めた。
二年、いや、三年ぶりか、、。
色々な問題で、お金に成らないから、
二度と再び、購入することは、無い!
と、思っていたが、

金はないけど、絵が描きたい。ってなって、
購入してしまった。

このシリーズは、そもそも、
売る気も、評価される気も、考えず、
ただただ、描いて、
知人に、強引に見せていた。

家にくると、強引に作品見せられて、
感想を、言わされる。と、家に来ない人もいた。
これは、当時、
評価というより、自己治療的な側面が強かった。

とにかく、
ま、描き始めた。
そして、改めて、気づいた。

展示や、お金のこと考えずに、絵を描くのは、楽しい。
集中力高い時は、
自分を中心に、今までに、見たこと、経験したことが、
点として、天体のように広がり、
ある瞬間、電気的に、無作為につながり、
わら半紙の上に、線として現れる。
そしてそれを、描き起こす。

つながりに意味は無い。
だが、おもしろい。

あっという間に、三時間ぐらいすぎる。
集中力の限界なのか、
いつも、それぐらいで、我に返る。

数年前まで、ほぼ毎日、これを2セット。
調子の良い日は3セットやった。

好き勝手に、だだ、描いてるって、わけでもなく、
作品を完成させる、詰めの部分は、
冷静に加筆する。
そこそ、何十回も、何百回も、
繰り返し見て、他人の作品の様に成るまで。

一年で、だいたい500枚描いて、
最終的に100枚前後残る。

これを、商品にすると、
バラでは、売りにくいので、
セットになり、50枚が、40万円くらい。
手取りが、半分なので、20万くらい。

一年丸々使って、こんな感じ。

売ること考えると、
非効率にも、ほどがある!
仕事とか、趣味とかを、超えたとこある。
良くも悪くも。

キャンバスに描いたら、一枚でいいからね。
売れれば、だけど。

まあ、それは、ギャラリーの立場でも同じ。
一枚の作品に対するケアが、同じだとしたら、
1枚一万円の作品40枚と、一点で40万円の作品。
例えば、写真撮るにしても、、、、、。

そんなわけで、わら半紙、やめてたが、
買ってしまった。

次の、いつ、入るか分からない入金までは、
これしか出来ないので、
それまでは、久しぶりに、
存分に、絵を楽しもう。

改めて考えると、キャンバスと言う壁は、
本当に、大きいな。

http://arimaroughpaper.tumblr.com/

ちなみに上記のアドレスで、
わら半紙の作品観れます。

+


写楽の線について



+

写楽の線 :

まず、振り返る。
6年前、ドローイングの底が見えた。
自分の思い、自己治療、内面性などを、言ってしまえば、
感情を線に込めるコト、の底だ。

20年線ばかり、引っ張って来て、
ある種の達成感が来た。

そして、まとめた。
http://arimasunmoon.tumblr.com/

それと、同時に、
色、空間、他者に対しての感覚が、増幅して行った。
結婚したせいも、あるだろう。

線的に、モノを見ていたのだが、
空間的にモノを見れるように成って来ていた。

そんな時、
写楽の画集をたまたま観た。
驚いたことに、

絵が、飛び出して見えた。
立体的に見えた!

もともと、写楽は、小学生の頃から好きで、
その頃、模写もしていた。
ので、
ちょくちょく、画集を見ていたのだが。
その時は、
今までとは、全く違う、絵として、そこにあった。

そこで、ハッキリわかったのは、
今までの、やり方で、この線は、弾けない!ってことっだった。

内面を追求しても、この線は弾けない。
(弾く」は、何と無くだが、あえて使う。)
そう、思った。

で、
嫁を描いたり、
自画像描いたり、
風景描いたり、
していて、
7つの焦点にたどり着く。
http://arimaworks2011.blogspot.jp/search/label/7つの焦点について

簡単に言えば、
空間を見るコト。

だが、道のりは長い。
写楽の線が弾けない。
それは、解らない部分があるからだ。
http://arimakaoru.tumblr.com/post/5275800900
上記:ちょっと古いが今、これしか無かった。
試行錯誤感満載。

色々見たが、写楽の線は別格。

絵が巧くなって行くと、
ダビンチ的、マチス的、ピカソ的、のどれかになる。
途中で、エゴンシーレ的に成ったと、してもだ。

別の言い方だと、
デザイン的、写実的、内面的、と、
視覚情報を受け入れる時の解像度の大きさ。

ボールペン的と、筆的でもいい、、か、、色々あるな、、、。
ま、あと、国内だと、朦朧的に、もわもわ線もあって、
その線の使用頻度が、私は高い。
まあ、風土的なものだ。

後、関係ないけど、絵が巧く成りすぎると、
絵が止まる。固まる。
マンガでも、そう。
モチベーションより、技術が上回る。

なので、絵描きは、左で描いたり、筆の持ち方変えたり、
線の種類増やして、レイヤーを作ったりする。

止まっていた方が、伝わりやすいジャンルもある。

ん?、、、。
戻す。

何が言いたいかといえば、
内面的な線を、毎日弾っぱってるだけでは、
到達出来ない線なのだ。

眼、というか、感性、感覚?認識?
なんか、そんなところを、鍛えなくては、いけない。

そうこう、してたら、いつも失敗ばかりしていた、
キャンバスにも、描けるようになったが、
今までの様な理由で、
とても線的な表現に成っている。

そう、なので、内容が全く無い。
だから、作品にするために、手練手管(こんな字だったんだ!)を使う。
手練手管: http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1110984576

と、まあ、これが近況。
まだまだ、写楽の線への道は長い。

具体的に、写楽の線の何が凄いか!幾つかあるが、、、、、。

ちなみに、評価してるのは、大首絵だけです。


+




2013-05-25

やっぱり、日本の現代美術は、マンガだ。


+

やはり、日本の現代美術はマンガだと思った。

以前、NYの日常、生活と、アートが密着していて、
それが、コンテンポラリーアートに成ってる。
生活が必要としてるアート。
って書いたけど、それ考えると、

日本の現代美術は、マンガになる。
じゃあ、日本のコンテンポラリーアートは?
ってなる。
近いのが、グラフィックデザイナーや、
イラストレーター、何じゃないかな。
それは無い!って自分で突っ込んでみるが、、、
全否定が出来ない。

となると、日本のアーティストが、目指すものーー。

もはやこれは、
誰もが知っている答え。

好きにやればいい!
お金?
評価?
関係ねえ!
って、なる。

その中で、成功する人こそ、アーティストだ!
成功って、言うか、尊敬かな。

だから、今の日本の状況は、
成るように成ってる。

そして、それは、加速して行く。

何もしなくても、仏様は救ってくれる。
に行きついた日本人ならではの美意識。

そう考えると、
マンガのデジタル化によって、
所有の仕方概念が、変わって行くことって、
美意識にものすごく影響を与える。
少なくとも、日本では、大きい。

3Dプリンターによって、
価値観も変わってくる。

すべては、情報の集まりでしかない。

どこから来て、どこへ行くのか。
なんて、考えも陳腐化するのかな。

すでに、お墓離れが、始まっている。

話がズレた。

だから、結論として、
今やってる事に、
「日本の」を付けるから、ややこしくなる。

って、事かな。


+






2013-05-20

なぜキャンバスで折り鶴なのか!?


+

なぜ、キャンバスを切って、折り鶴を作ったのか。

空間とのつながり。
祈りとのつながり。
物質と祈りのつながり。

まず、何年か前から、やってること。

アーモンド型に、キャンバスを切って、それを燃やす。
それは、空気中に拡散し、空間と融合する。
切り取られた空間は、作品と繋がりつつ、無限に広がり、
一つになる。

また、聖書に出てくる、
トマスの不信心で、復活したキリストの傷口に指をいれるシーン、
にも関連づけている。
宗教は、色々あれど、信じる事の重要性は、どこも一緒だ。
平和への祈り、信じること、は共通してる。
人にとって、大切なのは、信じること。

そんなことを考え、形にした。

そもそも、私にとって、キャンバスは、
キリストの磔と、リンクしている。
木、釘、布、見られる状況。

鶴にしたのは、色々やって見た結果だ。
複雑なものは、
この折り紙凄いでしょ!っていう、技術が全面にくるので無し。
そんなことが、言いたいわけでは無い。

カブト、カエル、舟、など、色々やって見たが、
飾った時に、ペタっと成るのは避けたい。
どこかしら、本体と、繋がっていたかった。
後、
空間に飛び込む感じが欲しいし、
鶴は、祈りとの関連が深い。

アーモンド型に、カットで、十分意味付けは、
出来てるのに、なぜ、そこまでしたのか?

重力や、設置の仕方で、変化する表情。
決められた枠組みからの跳躍、新たな命。
この辺も、キリストの復活とリンクしてる。

もう一つ、いい感じのがあったが、
微妙にコンセプトがずれるのと、
今回の展示では、
鶴との相性が悪いので、止めた。

いつか、制作すると思う。


+

2013-05-18

シェアスタジオのシェア感が凄かった。



+

シェアスタジオのシェア感が、凄かった!

実は、ミルウォーキーのスタジオ、宿泊先だが、
そこで、ライトスタンドを壊した。

トイレットペーパーを探して、引き出し開けまくってたら、
元々壊れてた扉が、倒れて来て、スタンドが下敷きに!
その扉、けっこう重かった。
首?関節?がポッキ!
やってしまった。

まず、リーダーに話す。
私は、状況を英語で話せないので、ギャラリーオーナーに頼んだ。
いきなり、リーダーが、気にしなくていいよ。
みたいな、話をしてきた。

それなりに、高そうなモノだったので、弁償はするつもりだった。
ただ、話せないとはいえ、
人まかせにするあたり、すでに卑怯ではある。

その時は、持ち主の方は、居なかった。

夜。
スタジオに帰宅。
持ち主に、ギャラリーオーナーが話す。
こちらも、気にしなくて、いいよ。
みたいな、感じが伝わってきた。

え?本当に!?

後で、聞いたら、何と!
このスタンド、夜には、壊れてたらしい。
!
?
と、思い、昨日撮影した、写真をチェック。
壊れてないよ?

え?
うそ?

とっさに、そんな、優しい嘘言える!?

今まで、そんなこと、聞いたことないし、
自分で行った事など、当然ない。

何なんだろうこの、優しさ。

NYに移動。

この話を、NYに住んでる日本人に話した。
リアクション無し。
これ、普通らしい。
話を聞くと、彼もシェアして、生活してるらしい。

ただし、全部が全部そうだと思ってると、ダメだよ。
裁判の国だから。と、釘を刺された。

シェアの中と外の区別は、ハッキリあるらしい。

とはいえ、
それ、壊れてたよ。
とっさの一言で、普通言えない。

習慣から治さないと、、。

+

2013-05-14

NYのアート

  日本に帰ってきた。
我孫子で、醤油の匂いがして、そそられたが、カレーにした。

前、facebookに、NYについて、面白みが無いと書いた。
なぜかな?と、考えると、
全てがあるから、とか、東京と似てるとか、
そんなところ。
足りないと言う自由。

あと、自分にとって、良かったのは、
日本の美意識は、日常と密着していて、海外は、そうではない。
と思っていたが、
NYのアート、コンテンポラリーアートも、日常と密着していた。
土地、文化が違うだけで、表現の方程式は一緒。

ゲームに参加して、ルールを覚える。より、
向こうの生活習慣を理解する方が、私には、合っている。

そう考えると、
日本の文化は、なぜ、と、今、考えるのは、よそう。
何か、自分なりに、できそうなことは、ありそうだ。と、
思えただけで十分だ。

>

NADA NY見に行って、帰りに地図貰って、
ギャラリー廻り。
凄い凄い、言ってたら、チェルシーこんなもんじゃないよ!
って言われ、感動通りこし実際吐きそうになった。
凄いのは、全てのギャラリーのレベルが高かったこと。

ギャラリーで、これだけできるってことは、
美術館での展示の意味も当然違ってくる。
なるほどな、、、、と、思った。


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2013-04-24

侘び寂びは、中国の雅と、朝鮮の大衆美術のバランスから、


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侘び寂びは、中国の雅と、朝鮮の大衆美術のバランスから生まれた。
ギャップや、比較と言ってもいいし、日本の風土に合った所の良いとこ取り、でもいい。

今の日本の幼児化の美意識も、実はそれだけでは、なくて、
ちゃんと、真逆の美意識とのバランスをとっている。

多神教のせいなのか、
そのへんのセンスは、凄くいい。
日本人にしか分からないかも、しれないが、、、。
いや、そんなことはないな。

+

住所の書き方が、
日本の場合、広い場所から自分にくる。
私の知ってる海外の住所の書き方は、
自分の場所から、外に向って行く。
文章の成り立ちも、そんな気がする。

自立、自律の仕方が違うのだろう。
たぶん、これは、作品の成立の仕方にも、関係している。

思考がそうだから、
日本の警察で初動捜査間違えると、後戻りできなくて、
冤罪とか作りやすいのかな?
最近、よく聞くけど。
って思ってたけど、その辺もきっとバランスの取れた捜査なのかな。

+

私の美意識も、バランスが重要だ。
棒磁石の真ん中だ。
NでもSでも無い。
知りたいからと、折ってしまうと、そこは、
NとかSに成っている。

一休さんの句だが、
年毎に 咲くや吉野の 桜花 木を割りて見よ 花のありかを

に、近いかもしれない。

+


有漏路より無漏路へ帰る一休み
雨降らば降れ風吹かば吹け

生まれては 死ぬるなるけり
おしなべて 
釈迦も達磨も猫も杓子も

白露の おのが姿は 其のままに もみじにおける くれないの露
年毎に 咲くや吉野の 桜花 木を割りて見よ 花のありかを

あるとみて なきは常なり 水の月
ないとみて あるは常なり 水の月

一休宗純

+

裏を見せ、表を見せて散る紅葉
ぬす人に取り残されし窓の月

良寛

+

馬の屁に 目覚めてみれば、飛ぶほたる

小林一茶

+

何度読んでも色あせない。
私の美意識の全てがここにある。

こんな、作品を、作りたいとは、常に思ってはいるのだが、、、。

+

2013-04-12

10年計画



+

何でも、そうだけど、十年続けると形に成る。
10歳から始めれば20、
20からなら30、、、。

ギリギリ行けるかな!?
と思い、40歳で、ファイル持って、
関東のギャラリー巡りから始め五年目、
キャンバスやり出して三年。
努力の方向を間違えてなければ、
何らかの、リアクション、結果が少しづつ現れる頃。

この時期に、努力の微調整をする。
サッカー選手に成りたいのに、野球の練習しても意味がない。
さらに言えば、
種目が似ている、短距離と長距離も、
使う筋肉が違う。

そんな感じのことを、
画面の中とか、取り入れる知識とか、行動範囲とか、
微調整する。

努力が形にならない人は、
努力の仕方を間違えてるか、
自分に甘い。

そんなわけで、明確な目標を持っていた方が、
この場合は良い。
目標がないと、自己模倣に、おちいりやすい。
資金が限られてるなら、なおさらだ。

私の場合、
一回目の目標は、自己治療の完治と、海外での展覧会。

今回は、目標が、どうしても、持てなくて、、、
困ったので、
ゲームとして、参加することにした。
なので、ツイッターに、アートプレイヤーって入れた。

来月、初めてニューヨークに行く。
初めて、アートシーンと言うものを、体験する。
スポンジみたいになって、色々吸いとりつつ、
岩みたいな展示して、
世界での自分のポジション理解して、
微調整。

>

話は少し変わるが、
才能の有る作家は、サクッと海外に、できればニューヨークに、
行って欲しい。
なぜか?

地方でヒット打って、東京でヒット打って、海外でヒット打って、、、、
ワンヒット10年。

東京から始めれば、10年、海外からなら、20年得する。
ヒットの数も少なくてすむ。
だから、最初から東京にすんでるとか、NYに住んでるとか、
生まれながらに、10年、20年得してる。
でも、そういう人って、欲のない人多い。

サクッと、ホームラン打てば、良いんだけど、、、
見たことないなぁ。

ただ、リスクはあるし、
向き不向きもある、だろうし、、、

例えば、私みたいに、RPGで、
最強装備にして、袋に薬草フルに入れて、
っていう状況に成らないと、次の街に行かないって、
タイプは、難しいかな。

このタイプは、長生きが重要なポイントなんだろうな。
70歳越えないとなぁ。

微妙だから、私は、その中間戦略しないとなぁ。

芸術系は、努力が実りやすい。
スポーツは、椅子が決まってるから、
才能の有る人が、努力したら勝てる気しないけど、
アートは、個性尊重なので、人の数だけ椅子がある。

なので、諦めない限り、
何とかなりそうな分野ではある。

そもそも個性は、誰にでも存在する。
表に出にくい場合は、
義務教育で、学んだ全てを疑えばいい。で、
其れを否定するのでは無く、利用する。

>

しかし、俺の目標って、
普通に成りたいとか、
普通の生活がしたいだけで、
それに、ともなう収入が、作品で確保できればいいんだけど、
周りを見ると、
ハイか、ローしかないんだよなぁ。

普通って、なんだよ…!ってたまにいう人いるけど、
そう言う人は、辞書引いて下さい。
たとえば、
お金の心配せずに病院行きたいとか、なんだけど、、、。

今ググったら、wikiにもあった。
普通がいい」という病、って本が、あって笑った。

微分的、積分的で、多視点で、一つのモノを見る。
できれば、同時に。

>

あ、そういえば、
この前、また、誰に向けてブログやってるの?って言われた。

答え:
自分。
記憶力が悪いので、メモの代わり。
たまに読み返して、コンセプトの確認。
ホラを吹いた感じにして、後戻りできないようにする。


+



2013-02-08

作品コンセプト2013 : 関係性の輪郭


作品コンセプト 2013

関係性の輪郭 :

関係性で大切なのは、
マンガや映画のコマとコマの間、
文章の行間、描いていない部分である。

見えている部分や、繋がりが不必要なわけではない。
それぞれに意味(肉体と精神)はある。

空に浮かぶ星座のように、関係を名付け、
縛り、自律性を高めることも大切だ。が、

同時に見えない部分、名前の外側を感じることが大切で、
その、広がりは、うつくしさ」と関係している。

全てを同時に感じること「あること」の補助線。
それが、関係性の輪郭である。

+

うつくしい」と「キレイ」は違う。
キレイ」は、整理整頓で、
自覚があって、キレイだな」と思う。
うつくしい」は、後になってから理解する。
なぜなら、その時は、うつくしい」の一部に成っているから。
うつくしい」を表現した作品を作りたいが、
そう思って制作すれば、うつくしい」は逃げてゆく。
ならば、関係性(空間)の中に包み込むしかない。

+

チープであること。
日常のそばにあり、脆く、血が通う。
命が見える、花の様に、
限りがあるから、瞬間が美しく感じる。
だから、大切にし、守ろうとする。
すべての作品が、実はそうなのだが、
チープな作品は、それが解りやすい。
死を、平等を感じる。
指先に死を感じ、いずれ、
全ては、大気(空間)と混ざり合い、
関係の一部に成る。

+

キャンバス作品について、
木枠、キャンバス、釘を、キリストの磔のイメージとリンク。
画面のカットは、トマスの不信心とリンク。
>これが、私にとって、リアリティのある、
キャンバスの向き合い方だった。
また、カットした部分は燃やし、大気(空間)の一部にした。


針金作品について、
二次元のドローイングを三次元で表現し、
視点で変化するように、空間的な表現にしている。
また、ライティングにより、
針金と、その影がメビウスの輪と成る。
内と外を飲んでそこにある輪郭。

新聞作品について、
新聞紙をキャンバスの代わりでは無く、
新聞紙として使用している。
その中央に描かれる絵、周りの新聞は、
どこまでが作品か解らない。
作者、絵、新聞、社会が、絡み合う。
上だけで止めて、風に波打つ様な展示方法をとり、
立体作品としても、機能する。

彫刻作品について、
頭部の中は空洞にしてあり、風(空間)が通る。
肉体の単一性と、精神(空間)の共有を意味している。

一つ一つの作品は、
関係性の輪郭を表現するために、
「個、空間、個の繋がり、個と空間の同期」が、
バラバラに表現されている様に見えるが、
入り口が違うだけで、出口は同じ。
空間を観なければ作品が現れない。
名付ければ逃げてゆく。
中でも外でも無い輪郭。

空間には、過去も未来も無く、
今と言う時間の広がりがある。
風と言う揺らぎがあり、常に変化している。
命と死があって、あるという状態で、それは、
とても、うつくしい。
はずだ!

、と。

あること」に近づき、捕らえるために、
制作している。
今も、名付ける前の、空、雲、山があるのだから。

+

ちなみに、このコンセプトを、まとめることができたのは、
ベラスケスのラスメニーナスとの、出会いが大きい。

+

五月に、海外で展示する事に成っているので、
まとめてみた。

今まで、自分でも、何やってるのか、
不安だったが、何となくだが、形が見えてきた。

見えてきたと言っても、
名付けたら、消える様な、代物だが、、、、。

+