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2012-12-25

風が吹けば桶屋が儲かる展の感想


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MOT の、風が吹けば桶屋が儲かる 展をみた。

簡単にいえば、かなり、面白かった展覧会だった。し、
すべての作家が、面白かった。

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まず、森田さんの作品は、
噂で聞くだけだと、今更?って感じがしてたけど、
実際見たら、アリ!だし、面白かった。

彼は、海外でアートを学んでいるからなのか、
日本の作家にはない、思考というか、構築なのかな、
とにかく、彼の作品をみると、
本場のアートに触れた感じがする。

以前、水戸で展示するための作品で、映像で時計を制作する時に、
ちょろっと、当時は、代表だったので、
水戸のキワマリ荘と一緒に入れてもらった。

地震がらみの作品を制作していて、
前回の個展がそうだと思うけど、
そのシリーズも、凄いし。
日本人って、これしか出来ません!って人が多い中、
繰り返しになるけど、本場のアーティストを感じる。

ここの展示は、空間的な広がりを持つ。

>

下道さんの作品は、
こんな時期だし、考えさせられた。

石の鳥居が倒れてて、
そこに、人が座ってる写真見て、面白い!って笑ってる人とか、
何かもう、平和っていいなって、思う。

ここでの展示は、時間的な広がりを持ってって、過去に遡る。

>

ナデガタさんは、
知人というか、友人というか、
数年前まで、毎週末、水戸のキワマリ荘で、顔を合わしていて、
色々話しをしてるので、まず、その成長ぶりに、ぶっ飛んだ。

時間を遡る。
五年前くらいにしよう。
水戸の駅前のシャッター通りは、みるみる拡大していた。
そこで、アートをするに当たり、
これは、県外とか、海外に向けて、何かしている時ではない。
今は、身内で楽しんで、今ここを、盛り上げよう。っていう感じになる。
私の中でだけど。。
そこに、彼(中崎さん)がいて、ナデガタがあった。

更に遡る。
水戸のキワマリ荘の場所を移転するに当たり、
部屋を借りてくれる人を探していた。
そこに、水戸芸の高橋さんの紹介で彼に出会った。

彼が、入る!って言ってなかったら、今の水戸のキワマリ荘は無い。

な、感じで、毎週末、コタツに入って、ダラダラしていた。ら、
今度、映画を作るって、言い出して、
は?

それが、出世作に成る。
街を巻き込んで、映画を作って行く、っていう作品。
出来上がった映画?映像作品は、作品と読んで良いのか怪しい。

が、その、映像を見た時、これは、凄いなって、思った。
ただ、そのころから、
無意味に長い映像作品は、何とかならないのか?
って思ってた。で、

今回のMOTの展示で驚いたのは、映像の扱い方。
凄い成長ぶり。
山城さんと、野田さんの力だと思う。

私のナデガタ作品のイメージは、
オープニングの二次会。
この感じが、一番楽しいんだから、
これを、そのまま、作品にすれば良い!
後は知らん!

これをそのまま、中崎さんに言ったら、
何言ってるんですか!って言われた。

展覧会では、渦の中心。
とにかく、混ぜる。

このチームは、バランスが良いし、
今の日本に必要な作家。

>

奥村さんの作品は、
部屋に入った瞬間、鳥肌が、立った。
あれ?
こんな人だった?って思った。
この展覧会を五回ほど、ぐるぐるしたのだが、
二回目も、ゾクゾクした。
何故だろう。
三回目で、椅子に座って考えた。

最初の頃の作品は、
ビーズを陰毛で大量につなげたり、
ツバをフライパンで蒸発させたり、
キモ要素の多い作家の印象っだった。
何かで読んだら、物質として扱っているだけって言ってた。
で、
二年前、同じギャラリーに、私が所属することになり、
改めて、彼の個展を見に行ったら、
落語の映像の作品で、え?と、思ったが、
落語の話は、自分の目玉が、災難にあって、色んな場所に行き、
其れを、見ることで、体験してしまう話。

やはり、肉体性に、キモさは残っているが、
胃液が上がってくる感じはない。

と、考えると、物質というか、
物質という言葉、貼り付けた言葉によって、
物の見方、感じ方、肉体に変化を与える。

翻訳をするように、成ったからなのか、は、わからないが、
文字の音と、映像。
映像の文字と音。
音の文字と映像。
とにかく、あの場所にいると、肉体的な変化を感じる。

同じギャラリーに所属している事が、
嬉しかったな。

この展示は、文化的な広がりとか、
肉体的な広がりを感じた。

>

佐々さん

タイムマシーン。
この部屋にきた時に、ああ、この展覧会好みだ、って感じた。

始まったら、ずっと途中、ただ、その時その時に答えは必要だ。
って言う考えが私に、あって、それには、救いがないんだけど、

彼の展示室には、棺桶が有って、方舟に見えた。

この展示は、未来に向かってばらけて行く感じ、
未来に向かって、関係だけがある広がりに、
OFFを用意している。

>

田村さんの展示は、
現実とファンタジーの広がりを感じた。
地下のは凄かった。

後、
何週も、この展示を見てると、
この展覧会は、見るもが無いな。って言ってる人と、
この部屋で、何人かすれ違った。
いや!
ここは、あるでしょ!
って思ったのだけどね。

でも、これまでの展示の体感のせいで、
この部屋を、そう言って、素通りしてしまう。

それが、怖かったし、面白かった。

>

田中さん

この展覧会は、広がりとか、関係性とか、
よくまあ、コレだけのモノができた!と、思った。
田中さんの参加の仕方も、
その一つだろう。

田中さんとは、
光州ビエンナーレで、お世話になった。
私は、英語喋れないので、
ひっついていた。

彼を見ていて思うのは、
アーティストでありたい。
世界で活躍したい。
って気持ちが強いってことだ。
そして、そういう人しか、残らないし、
その気持ちが強い人ほど、上に行く。

これは、どの世界も同じ。

日本にいると、その、モチベーションを、
見つけたり、保ったり、するのが、至難の技。

>

最後にタイトル。
風が吹けば桶屋が儲かる、は、
桶屋が儲かるのはなぜだろう?から、逆算したのではないか、と思っていて、
何故なら、遡るほど、ファンタジーだからだ。
目に砂が入って、盲人になる。ってどんな砂?
レゴリス?月の話?

そんなわけで、考えれば考えるほど、
ファンタジーな、展覧会だった。
ので、感想書いて見た。














2012-11-11

絵画も彫刻にしよう。

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ルーブル美術館のアプリ(無料)があったので、ダウンロードした。

17世紀からの爆発的な絵画の広がり、多様性。
宗教美術から、絵画で何ができるのか!への挑戦。
面白い。

その中の、
バルコニーの、見る見られる。
トランプの見える見えない。
の問題。

それは、絵画をファンタジーと、とらえるから。
キャンバスに切り込みいれて、
物質性を全面に出してしまえば、
その問題の意味すら無くなる。

絵画も彫刻にしよう。


!?。

何か、今、凄くスッキリした。




before - after

神と資源のメイキャップ
Acrylic on canvas
727x606mm


新聞の作品とか、あれは絵画なのか!?って思ってたんだけど、
彫刻でいいや。

で、どちらかと言えば、
デジタル画像とか、フィルム画像の方が、絵画。
写真は紙に焼いた瞬間に彫刻。

で、ファンタジーは、捕らえられなくて、
変化し続けて、精神と結びつくモノ。
という、自分ルール完成。



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新聞紙の作品は絵画か!?

 
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新聞紙の作品は絵画か!?



1993 キワマリ荘の住人





1995 キワマリ荘の住人Ⅲ 「継続の日常」


途中からだが、
新聞紙を、キャンバスの代わりではなく、
新聞紙として使っている。ので、
純粋な絵画ではない気がする。

よく言われたのは、
らくがき、まんが、イラスト。

自分勝手な結論を言えば、
全てのジャンルから、逃げ切れたと思う。し、
これからも、逃げ切る体力のある作品だと思っている。

ことの発端は、中途半端な自分を認めたい。という、
自己治療的な動機。


中途半端な作品が、
中途半端を表現する作品に化けた。
それは、言葉を変えれば、
関係性を作品にしてしまった。

その時の、時代の雰囲気もあって、
引きこもり、オタク、自己治療の側面で、作品が取り上げられた。

>でも実際は、一人暮らしで、脱サラして、ギャラリー運営で生活してた。
>心の引きこもりだ!って言われたら、考えるけど。

でも、そのころから、数人の学芸員の方から、
これは、関係性の作品だよね!?って言われたことがある。

関係性の作品は、
複数の素材があって、どの素材も主張しすぎてはいけない。
言いたいのは、素材の関係性。
見えない部分。
コマとコマの間。

でも、その関係性自体は自律している。
しかも、それは、目に見えない。
それを、見える形にすると、
より複雑な、見えない関係性が生まれるだけ。

もう一つ作品のイメージに成ってるモノに、棒磁石がある。
両端は真逆、黒と白を同時に持ち、
二元論の様なスイッチでは無く、
ダイヤル式で、無限のグラデーション。

そして、磁場がある。
磁場ば、普通見えない。

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I blog with BE Write

2012-09-24

キャンバス作品コンセプト2012



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キャンバス作品コンセプト:

モデルを、複数の焦点(視点ではない*1)によってとらえ、イメージの重層をし、
さらに、部分(例えば頬)を、「点、線、面、体」の、
どれかのイメージでとらえる。

ただし、そのイメージの素は、皮膚、筋肉、骨など、
皮膚の表面に現れているイメージを分解し、再構築する。
ここに、色やストロークなどが加わり、さらにイメージの重層に、
厚みをもたらす。

これは、(キュビズムから続く)コラージュを応用した、
イメージの重層による関係性によって、もたらされる人物画で
ある。

上記が技術面の探求であるなら、
内容は、絵画と宗教美術の関係性から、
救済、自己(個性と役割)についての探求。

技術面や内容に共通しているのは、関係性と輪郭(ドローイング)である。
関係性によって、浮き彫りに成るのは、
マンガや映画のコマとコマの間、文章の行間、描いてない(映ってない)部分である。

カットについては、
物質性、空間性、鑑賞者との関係性を表している。
カットの中の空間と鑑賞者を包む空間の同一性によって、
絵画の自立性に対する問題定義を投げかける。

人は「信じること」が一番大切であるが、そのコトを、
「トマスの不信」として、カット(穴)のイメージに落とし込んでいる。
また、穴は、エロティックなことや、始まりや終わり、をイメージさせる。

彫刻作品は、頭部の中が空洞にしてあり、
肉体の単一性と精神性の共有を意味している。
カットと意味的には同じ。

見えてる部分や、つながりが不必要なわけではない、
それぞれに意味(肉体と精神)はある。
同時に見えない部分を感じることが大切だと思っていて、
それは、「ある」ことで、「あること」と「うつくしさ」は関係があると思っている。

「あること」は、関係性の輪郭である。

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