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印鑑問題:
15年前(かなり最初)から、作品に印鑑を押していた。
浮世絵の影響だ。
最初は、無意味に複数の印鑑をおしていたぐらい。
で、新聞紙の作品。
印鑑いらないんじゃなの?って意見が出始めた。
さらに、ネットで、
こともあろうに、日本画の様に印鑑が押してある、自意識過剰すぎ」って、
感じのを見た。
しかし、印鑑の朱色も作品の一部と考えていたので、
そういう人もいるんだなぁ〜。ぐらい、
実際、それが良いと言う人もいたし。
数年後の新聞作品。
絵の中に印鑑があって、成立させるのは「どうかな?」と思い出した。
そして、絵の外に、印鑑を出す。
すると、絵だけで、朱色のインパクトを出さなくてはいけない。
これが、新聞紙の作品以外を描ける様に成っていく、始まり。
そして、今回の作品は、ほぼ左下に印鑑を押した。
「。」の様に。
そして、、!
この展示に対して、この印鑑は「無い方がいい」が飛び出す!。
>展覧会の説明をする」
なおさらおかしい!違和感がある。
遠近法の逆」っていうなら、この印鑑はおかしい!
一枚一枚観せるなら、いいけど、
束で観せてて、印鑑はない。
さらに、色々聞いてみると、全ての謎が解けた。
印鑑は証明書とか、保証人とか、一つ一つが重い。
命の契約だ。
その印鑑が押してあるのに、この扱い、そして、この量!。
いいかげんにしろ!ってことだ。
で、
日本画の様に、、、の怒り」も解る。
印鑑に対して、思い入れの深い方達の存在。
いままでの、印鑑に対しての、相手のいらだちが、すとんと理解できた。
高校の授業で書道があり、印鑑を作る授業をした。
私はそこで、切ってはいけない線を切った。
結果。
5段階評価の「2」。
それは、無い!と思った。遊んでいたわけじゃないし。
だからこそ、
モノの価値はそんなものではない!
俺はこれを使い続けてやる!と誓った。
まあ、復讐です。
でも、その人に言わせれば、
印鑑はそれほどに、厳粛なモノだから!って話になる。
納得。
そして、印鑑を使い続ける理由が復讐なら、
無くてもいいだろう。
そして、もうひとつ。
実際問題、作品に判子を押すのは、現在の唯一の縛り。
理由は上記の問題もあるし、
ドローイングの今ある存在の仕方の問題もある。
印鑑は「私が作品と認めました。」という証。
じゃあ、どうすんの?
まあ、
自由でなくては、いけない!」は、縛り」であって、もはや自由ではない。
と、同じ理屈で、
印鑑が必要な時は押せばいい。
押す事に縛られない事。
押す事に流されない事。
最近、印鑑なくても、いい感じの、サイン考えたしぃ!
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