2020-01-14

リボーンアートフェスティバル2019:市街地エリア

市街地エリア物足りない」って言ってた人がいるって話だと思うんですが、、、リボーン全体見たけど、市街地が物足りないとは思わなかった(これを市街地キュレーターの私が言っても何だけど、、、)。
リボーンは、エリアだけを見るものではないと思うし(言い訳ではなく)。ブース内の関係性、エリア内の関係性、リボーン全体の関係性を考えた上でも、うまく機能していた。これは、物足りないのではなく、あるベクトルに特化したため、「見方によって、物足りなく見える」。
シンボルの点では、関係性をどう見るかで変わって来る。点で見るか、線で見るか、塊でみるか、さらに、大地(過去)未来のイメージの個人差。人間は小さな生物の関係性で個性を持ち、過去や未来を生きる。関係性にシンボルを見ることはできる。
グループ展(トリエンナーレとかも)で、展覧会を見ないで、この作家が面白い、つまらないと作家個々の意見が多いのですが、展覧会にはテーマがあります。それこそ関係性です。あるキュレーターは安定した作家のそばに新人を添えます。この意味!?展覧会は見る側の被写界深度で見える風景が違います。
だから作品が良くても選ばれません。たまに何で俺は!っていう人いますが「テーマや全体のコト」を考えてないです。よくビエンナーレ作家と言われる人がいますが、そういう人は「どんなテーマでも作品が作れます。」話をそれますが、今回の市街地エリアの作家は、それができない人が多いです。
作りたいから作る。コンセプトは後づけです。そういう作風の人は、説明するとボロが出て、コンセプトとあってない!と詰め寄られる。そういうタイプの作家は基本何言われても作風を変えられないので、悩む。そういう作家は作品ではなく環境(展示)を考える。環境で作品の翻訳します。
話を戻すと、関係性を重視した展示は見る側の被写界深度に頼ってしまう利点と欠点があります。なので、説明責任とかもあるのかもしれないが、私はアートを言葉を超えてたモノと思ってるし、言葉は余計だとも思っている。だから英語も覚えない(笑)。
それと違うアートが一般的な現代アートってのも知ってるが、その制作スタイルと私の制作スタイルは合わない。でも、お前の展示は文章多いよねってなるけども、玄関くらいまでは案内しますというサービス精神。
とはいえ、物足りないと思った人の事実を放り投げることはできない。アンチや無関心の意見も重要。翻訳(作品説明)は最善は尽くしたい。散々言われた前回同様、「もうこんなコト二度とやるか!ボケ!」と思いながらも、せっかくの経験を活かせるのなら、また挑戦してみたい。とも思う。
前回のリボーンで、ギャラリーなんて無理だよ!、シーンなんて作れないよ!。展示終わったら帰ったほうがいいよ!。って数人に延々言われたけども、まあ、覚悟の問題だと思います。